悪魔と手を握る責任

ロメオ・ダレール著『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか──PKO司令官の手記』(金田耕一訳)を読んで
篠田 英朗
(しのだ ひであき・広島大学准教授

地獄だ。地獄はあるのだ、この世界の中に。

あらためて本書を読んで思った。一九九四年にルワンダで起こった大虐殺を地獄という言葉以外に表現することができない。わずか三ケ月の間に八〇万人という数の人々が殺戮された。それも徹底して人間性が失われたやり方で、惨殺された。親たちは、子どもの手足が切断され、頭部が切断されていくありさまを見つめさせられながら、マチェーテ(山刀)で頭部を割られた。女性たちは集団レイプにあった後で性器を切り取られながら嬲り殺された。教会や修道院に逃げ込んだ人々が、恐怖と栄養失調と伝染病に苦しんだ後に、一撃で粉々にされた。通りに、交差点に、川に、池に、血があふれ、死体が山積した。

本書は、想像を絶する生き地獄の中で、国連PKO部隊の司令官を務めたロメオ・ダレールの手記である。五〇〇頁近い克明な描写は、われわれの日常生活とはあまりにかけ離れた地獄の世界を、同時代の確かな出来事として伝えている。

本書が訴えるメッセージは、痛切だ。お前は、地獄に立ちあったら、どう行動するのか? 自分が生きる同じ世界の地獄に無関心を続ける者は、地獄に落ちた無辜の同時代人たちを見捨てる共犯者だ。だがだからといって、地獄に立ちあって、責任だけを負わされたら?

ダレールは、本書の中で、何度も嘔吐する。特に敬虔なキリスト教徒であるダレールにとって、教会に逃げ場を求めた人々が、無慈悲にも虐殺された後の現場にたどり着いたときほど、絶望を通り越した衝撃を受けるときはない。ダレールは、フランス語系住民と英語系住民が激しく対立した時代にカナダのケベックで少年期を過ごした。ヒトラーからヨーロッパを解放した父に影響されて軍務を志した青年ダレールの初任務は、ケベック州の治安維持活動であった。初めてのPKO活動従事で赴任した内戦後のルワンダに、ダレールは当初から大きな愛着を抱いた。

しかしフツ過激主義者が、ツチ系住民と穏健派フツ系住民の虐殺を開始したとき、ダレールは無力であった。停戦合意監視を任務とする彼の部隊は、武装勢力に対抗する実力を持っていなかった。支援するはずであったルワンダ暫定政府の政治家たちが一瞬にして殺戮され、十数名の部下が殺された後においても、ダレールの部隊は、自分たちを人間の盾のようにする以外には、庇護を求めるルワンダ人たちを守る手段を見出すことができなかった。ダレールは、国連本部に、兵力の増強はもちろん、水や食糧や薬や装備品など、ありとあらゆるものの調達を要請し続けた。しかし権謀術数を続ける政治家たちと、官僚主義に染まった国連職員たちの事なかれ主義に阻まれ続けた。

ダレールは、それでも紛争当事者の間を行き来した。PKOミッションの長として政務を扱う国連事務総長特別代表(SRSG)は、身を隠した後に国外に逃れ、やがて辞任した。ダレールは、虐殺が進行中であった期間のほとんどにおいて、政治交渉も担わなければならなくなった。砲撃を浴びたり、死人の山で浮きあがった橋を渡ったり、群衆に取り囲まれたりしながら、フツ過激派の指導者の下へ、そして反乱軍(RPF)の拠点へと、何度も何度も足を運んだ。そして嘘や威嚇に直面するだけであったとしても、事態の改善について協議を重ねた。

ダレールは、過激派指導者に会う際には、護身用の銃の弾を抜き、ソファに置いた。文字どおりの「悪魔」を前にして、衝動的に撃ってしまうのではないかと恐れたからだ。そしてむしろ虐殺の停止を約束するという嘘を重ねる「ジェノシデール」たちと、握手さえした。本書の原題である「Shake Hands with the Devil(悪魔と握手する)」瞬間である。帰途に着いたダレールは、必死で手を洗うが、手にこびりついた目に見えない血は、決して洗い流されることはなかった。

反乱軍が首都を制圧し、虐殺が終息した頃、ダレールは自らの精神状態が異常になっていることを自ら悟り、司令官の交代を申し出る。帰国後もダレールの精神状態は安定せず、退役した後、二〇〇〇年には遂に自殺を図って公園で昏睡状態になっていたところを発見された。ダレールが原書を執筆し、カナダ総督文学賞(ノンフィクション)を受賞して、執筆・講演活動等に精力的に乗り出していくのは、その後のことである。

地獄を目撃するだけでも、通常であれば精神錯乱に十分だ。それに加えて、司令官として状況に責任を負う立場に置かれたら、どうだろう? ダレールは、大虐殺が始まる数カ月前から予兆を示す情報を入手し、必死に事態の切迫性を訴えた。無関心な国連官僚や、無責任な大国の政治家たちに、支援を懇願し続けた。ダレールは、ルワンダを救おうとしたのだが、状況がそれを許さなかったのだ。しかしそれにもかかわらず、現地司令官をスケープゴートにして非難する者も、いないわけではなかった。せめてもう少し救えた命があったはずだと言われれば、そうであったかもしれない。戦争と貧困と疾病の地獄に苛まれているルワンダ人たちや、英雄的な努力を続ける部下たちを残して現場を去ることも、罪悪感を深めた。

多くの読者は、本書が描写する事実だけでなく、本書が投げかける道義的問いかけに、衝撃を受けるだろう。だが、それは、われわれがこの世界に生きている限り、避けては通れない、あるいは避けて通ってはいけない、衝撃だ。中央アフリカでは、一九九四年以降も、ルワンダから拡散した危機によって、四〇〇万人とも言われる数の人々が死んでいるのだ。

訳者が八年の歳月をかけた翻訳の労苦に、深く感謝をしたい。この翻訳によって、さらに多くの人がわれわれにとってルワンダが何であるかを知り、ルワンダが問いかけるものを感じるだろう。無関心者たちが、やがて全く準備のない形で知るだろうことを、本書の読者は深く知る。われわれは、時に地獄となるこの世界で生きていくための準備をしなければならない。なぜなら、それはこの世界の現実だからだ。


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