誰が西洋の本流なのか
T・ガートン・アッシュ著『フリー・ワールド──なぜ西洋の危機が世界にとってのチャンスとなるのか?』の刊行によせて
押村 高 
おしむら たかし・青山学院大学教授

 

冷戦中に主要な対立軸をなしていた西側‐東側は、極東(the Far East)に位置する日本が西側に分類されるなど、地理、文明よりむしろイデオロギーや政治体制を表す概念だった。その後、八〇年代末に東側共産圏がなだれを打って崩壊し、九〇年代に中欧諸国がNATOやEUへの加盟を果たしたことで、「西側」は意味を失ってゆく。

冷戦終焉直後には、S・ハンチントンのごとく、まだ「西側」が有効であると主張するものもいた。地政学的リアリストであるかれは、東アジアの台頭やイスラームの影を念頭におき、地理的、文明的な意味での「西」と「東」の対立は持続しており、西側(西洋文明)は結束して勢力を保持しなければならないと説いていた。

いまとなっては、ハンチントンのいう文明の衝突と、それに備えての西側の結束も、逆に「結束する理由が急速に失われつつあった証拠」と解釈することができるだろう。実際に、湾岸戦争における共同行動、NATOの存続などで辛うじて保たれていた欧米の結束には、イラク攻撃をめぐる確執で修復不可能なひびが入ったからである。

このとき、欧州と米国は、円満に離縁するどころか、大人げないなじりあいまで演じてしまった。独仏のイラク戦争反対者に言わせると、ブッシュ(Jr.)、チェイニー、ラムズフェルドという「悪の枢軸」が導く当時の米国は、「西洋」のアイデンティティである多国間協調主義をかなぐり捨て、極西(tne Far West)に向かって疾走していた。

一方、米国の政策担当者は、冷戦終焉というユーフォリアにひたって世界を民主化するという「西側」の使命を忘れ、カント的なユートピアに身を委ねた独仏を「裏切り者」と呼んだ。さらに米国メディアの一部は、お互い仇敵であるはずなのに、イラク攻撃反対で足並みを揃えた独仏を、「いたちの枢軸」と揶揄していた。

もともと複雑なアイデンティティを持つ英国が、欧米対立へどうコミットするかで葛藤していたであろうことは想像にかたくない。なぜなら、英国は欧州の一員であるが、大陸への同化は御免被りたいと願っているし、米国と特別な関係を結んでいるが、大陸の知識人同様、米国人を「成り上がりもの」として軽蔑する知識人が多くいるからである。

とはいえ、『フリー・ワールド』の著者は問いかける。世界中を不安に陥れた欧米の、また「旧い欧州」と「新しい欧州」の亀裂は憂慮すべき事柄なのか。西洋はトルコ、黄禍などの外部的脅威のないとき、いつも分裂していた。欧米関係も、第一次大戦後のウィルソンとクレマンソーの対立をみれば明らかなごとく、しっくりいかないことの方が多かった。

しかしガートン・アッシュは、欧州と米国の間柄が歴史的に見て普通の状態に戻ったという点を「知性のペシミズム」で指摘するだけでは終わらない。欧州では「意思のオプティミズム」が対立を協調に変えてきた、という大切な点を思い起こさせている。

ガートン・アッシュによると、ブッシュ(Jr.)の単独行動主義とイラク攻撃に端を発する欧州と米国のきしみは、冷戦終焉後「結束する理由」の曖昧なまま一緒にいようとしていた欧米にとって、経験しなければならない危機だったのであり、見方をかえると、「人類的危機に協調して取り組む」という、新たな結束理由を見出すための好機なのである。

筆者は数十年来、「欧州の叡智とは何か」を考え続けている。危機に備えて万全を期そうとしてはいるが、「想定外」が起ってしまうとおたおたする日本。それに比べると欧州は、危機を常態と考えてたじろがず、政治家の力量を「危機への対応」で評価している。フランスの友人の口癖は、「危機がヨーロッパを進歩させる」だったことを思い起こす。

先ごろ、鳩山(当時)民主党政権は、米軍普天間基地の沖縄県外移設の問題をめぐって、ワシントンと衝突しかかった。その衝突が、予想以上に深刻なものだったと報ぜられている。メディアや評論家の中には、これを「戦後の日米関係における最大の危機」と形容するものさえいた。

しかし、「アメリカと組むか組まないか」で親米、脱米、反米、嫌米が論争する前に、日米関係の危機をむしろ東アジア、そしてグローバル社会の好機ととらえ、安保同盟を越えた「グローバル・イシューズ解決のための日米関係強化」を日本が提案したらどうなのか。筆者の私には、ガートン・アッシュがそう助言しているように聞こえる



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