環境政治学を独自の視点から俯瞰した力作
ジョン・S・ドライゼク著(丸山正次訳)『地球の政治学:環境をめぐる諸言説』によせて
千葉 眞 
(ちば しん 国際基督教大学教授)

 I
ジョン・S・ドライゼクは、現在、オーストラリアで活躍している著名な政治理論家であり、とりわけ彼の民主主義論は興味深く高く評価もされている。その政治理論家のドライゼクは、同時に環境政治学の主題にも長年にわたりかかわってきたのである。このたび、環境政治学の分野における成果として、ドライゼク著『地球の政治学』(第一版・一九九七年、第二版・二○○五年)が翻訳出版された。このことは大変喜ばしいことである。また訳者にも人を得て、丸山正次氏が翻訳の労をとられている。訳文は全般的にこなれており、分かりやすい。ちなみに丸山氏自身、昨年、環境と政治に関する力作『環境政治理論』(風行社)を上梓されたばかりである。

私は『地球の政治学』(The Politics of the Earth)というタイトルに触れた時、一種の衝撃を受けた。というのも、地球を政治学研究の対象とするというこの尋常ならざる仕事への著者の決然たる意志に触れることができたように思えたからである。もっとも、この決然たる意志によって著者が、自らの願望と思惑の通りに、地球の政治学的探究において豊かな成果を上げえているかどうかは、ひとり読者が判定する事柄ではある。

私は『地球の政治学』(The Politics of the Earth)というタイトルに触れた時、一種の衝撃を受けた。というのも、地球を政治学研究の対象とするというこの尋常ならざる仕事への著者の決然たる意志に触れることができたように思えたからである。もっとも、この決然たる意志によって著者が、自らの願望と思惑の通りに、地球の政治学的探究において豊かな成果を上げえているかどうかは、ひとり読者が判定する事柄ではある。

II
環環境政治学としての本書の新しさは、本書の副題「環境をめぐる諸言説」に示されているように、環境問題をめぐるさまざまな言説の比較検討を試みているところにあるであろう。ドライゼクはこの方法を「言説アプローチ」と名づけている。「言説」は次のように定義されている。
「言説とは世界について共有された理解方法である。言語のなかに埋め込まれながら、それは、この理解に賛同を示す人びとが断片的な情報を解釈し、それらを一貫性のある物語や説明へとまとめ上げることを可能にする。言説は、意味と関係を構成し、常識を定義して知識を正当化する手助けをする」(一○頁)。

環境問題に関する言説とは、環境問題の説明と解決のための全般的なイディオムでありイデオロギーであると言い換えることも可能であろう。この言説アプローチは興味深いものである。従来の枠組みでは、ディープ・エコロジー、社会的エコロジー、環境主義という仕方で、人間社会の自然環境への取り組みの特徴を比較する仕方で類型論が出来上がっていた。もちろん、ドライゼクはこの従来の三類型論にも言及している。しかしながら、本書で著者は、「言説アプローチ」を採用することによって、環境問題の原因と解決法に関する理解の違いに着目して、五つの異なった言説を区別し、それらの比較考量を試みるという方法を用いている。

ドライゼクが提示するこれらの環境問題に関する言説とは、(1)環境問題解決型アプローチ、(2)生存主義(サヴァイヴァリズム)、(3)持続可能性型アプローチ、(4)緑のラディカリズムである。さらにとくに生存主義に反対する言説として(5)プロメテウス派が検討の対象とされているが、この立場は、技術の発展を通じて環境問題を解決し経済成長路線を維持していこうとする試みを示している。ここではこれら五つのアプローチの詳細な議論を見ておくことはできないが、ドライゼクは第二章以降で各アプローチの長所と短所をさまざまな角度から分析し考察に付している。本書の大半は各アプローチの分析と評価についての考察に当てられている。これらの言説アプローチによる五分類論は、前述の従来の三類型論よりも、言説構造の差異に着目するだけに、より精緻な分類論となっている面がある

III
ドライゼクはとくに、前述の(3)持続可能性型アプローチ、(4)緑のラディカリズムに関心を寄せ、また基本的にそれらを支持しているように思われる。この関連で彼は、(3)持続可能性型アプローチに帰属する「エコロジー的近代化」論──今盛んに議論されている──を高く評価する。第八章がその主題に当てられているが、一九八○年代前半にヨゼフ・フーパーとマルティン・イェニケによって提唱された「エコロジー的近代化」論は、今日ではロビン・エッカースリーはじめ多くの理論家によって積極的に受容され議論されている。「エコロジー的近代化」論は持続可能な発展を目指すために、環境保護と経済発展とを両立可能な仕方で実現していくことを目指す近代化の概念である(二一四〜二一五頁)。そのために資本主義経済体制の再編成が課題となるが、そこには「エコロジー的近代化」の「弱い」路線と「強い」路線の双方があると指摘されている。前者は環境保護を念頭に入れつつも経済発展を優先させる試図であるのに対して、後者は経済体制を含めた社会体制の幅広い変革を成し遂げて環境保護を実現する方に比重がかかった施策である(二一九〜二二八頁)。

IV
ここのような「エコロジー的近代化」論の視点からドライゼクは 一九八○年代から九○年代にかけて環境政策面で成果を上げたと思われる国々(候補)を列挙しているが、そのなかにはフィンランド、ドイツ、オランダ、スウェーデンとならんで日本も含まれている。これらの国々はいずれもコーポラティズム・システムを採用しているとされる。もっとも日本は、政策形成において政府役人とビジネス界の指導者の連携による「労働無きコーポラティズム」であると指摘されている。日本はとくにエネルギー効率の面と公害防止技術の発展の面で評価されている。しかし、日本の場合は両義的であり、その負の傾向についても著者は次のように批判している。

「日本のエコロジカル・フットプリントは非常に大きいが、それによって生じているネガティヴな影響は、東南アジアの熱帯林の破壊、太平洋の島々を覆うゴルフ・コース、海洋漁獲資源の枯渇、他の国々への公害産業の移転など、大半が日本の外で感知されている」(二二四頁)。

本書の結論部にあたる第一一章は「エコロジー的民主主義」と題されている。これまで民主主義とエコロジーをメインテーマに掲げて研究に従事してきたドライゼクであるがゆえに、この最終章の主題の探究には大きな関心を寄せる向きも多いであろう。しかし、残念ながら筆者としては期待が裏切られたような印象が強い。市民が作り上げる公共圏の強調と討議の重要性の主張を除いて、ここにはあまり参考になる議論や考察は見られない。

ドライゼクの筆になる『地球の政治学』は、現代世界の最高の政治理論家の一人の著した環境政治学の著作として、多くの興味深い視点論点と遭遇できることは間違いない。読者は味読することで裨益するところは大きいと思われる。しかし同時に筆者としては、環境問題と政治理論を相互に役立つ仕方でつなげていくという焦眉の課題は、依然として困難なものであり続けているという感想を禁じえなかった。そのことも、付け加えさせていただきたい



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