九・一一とカール・シュミット
古賀敬太 
(こが けいた 大阪国際大学教授)

 今回の拙著『シュミット・ルネッサンス』は、シュミット・ルネッサンスを背景に、政治的なるもの、国家、主権、憲法制定権力、独裁、戦争、市民、国民に関するシュミットの諸概念を考察したものである。
シュミット・ルネッサンスを引き起こした原因は多種多様であるが、そのうちの一つは、九・一一の同時多発テロによって引き起こされたアメリカの《テロに対する戦争》であった。この《テロに対する戦争》の文脈において、シュミットの政治思想の何が注目され、またどのように解釈されたのであろうか。大きく分けて二つの解釈が存在した。
一つは、テロは《人類》に対する犯罪であり、《テロに対する戦争》は《正戦》であるという考え方を、シュミットの正戦論批判を持ち出すことによって攻撃することであった。シュミットは、《人類》を持ち出すことによって行われる戦争は、相手を非人間的と貶め、敵を《正統な敵》としてではなく《犯罪者》とみなし、敵の殲滅を正当化すると批判する。そのことは、ブッシュ政権によるアフガニスタンのタリバン政権とイラクのサダム・フセイン政権の転覆によって実証された。《正戦》は、ウェストファリア体制下における《制限された戦争》を消滅させ、戦争を無限にエスカレートさせることになる。したがって、九・一一後のアメリカの《テロに対する戦争》に批判的な論者は、シュミットの『政治的なものの概念』から『大地のノモス』に至るまで一貫して見られる正戦論批判に注目した。例えば、シャンタル・ムフは、ブッシュの《テロに対する戦争》がシュミットの友・敵理論から影響を受けているとする見解に反対し、《正戦論》を否定するシュミットの戦争観がブッシュの《テロに対する戦争》に批判的な視点を提供していると主張する。また彼女は、アメリカの一元的支配に対抗し、複数の《グロース・ラウム》を支持するシュミットの国際秩序像を支持している。ムフにとって、複数の勢力による《アゴーン》は、国内においてのみならず、国際秩序においても不可欠であった。まさにこれは、ムフの国内秩序観を国際秩序に投影したものである(1)。
シュミットの思考様式に従えば、《人類》を持ち出すアメリカの《テロに対する戦争》は、従来の主権国家という境界線、また《軍人》と《民間人》、《戦闘員》と《非戦闘員》、《戦争当事国》と《中立国》、《戦争》と《平和》、《内政》と《外交》の境界線を取っ払い、代わりに《人間》と《非人間》、《正常な人間》と《犯罪者》の境界線を設定することによって、戦争をエスカレートさせ、警察活動にしたてあげるのである。
もう一つの解釈は、同じくブッシュ政権の《テロに対する戦争》に批判的であるのみならず、シュミットの《主権》や《例外状況》が九・一一後のアメリカの国内秩序における人権侵害、国際秩序におけるアメリカの一国支配を理論的に正当化することに対する批判であり、アガンベンによって代表される見解である。周知のようにアガンベンは、『ホモ・サケル』において、主権的決断によって法の外に置かれ、人権を剥奪された《ホモ・サケル》の状態を描き出した。そして今日、「主権者とは例外状況に関して決断を下す者」というシュミットの主権概念が、九・一一後の国際秩序に適用され、圧倒的なリアリティを持って迫ってくる。平時の国際法を無視して、アメリカが国際的な《非常事態》を宣言し、国際秩序における主権者として振舞う時、テロリストとみなされる者、またテロリストと関係を持っている国が、一切の法的権利の外に置かれる。まさしくアガンベンが定式化した《ホモ・サケル》がナショナルな次元のみならず、グローバルな次元でも再生産されることになる。アガンベンは、イラク攻撃後に『フランクフルター・アルゲマイネ』誌に「拘禁??世界秩序としての例外状況」を書き、世界的な《例外状況》において決断するアメリカのヘゲモニーを批判して次のように述べている。「アメリカは、現在、《例外状況》を単に内政の手段としてではなく、とりわけ自らの外政を正当化するためにも利用している。この観点からすれば、アメリカ政府は国家とテロリズムとの一種の《世界内戦》に対する不可避的回答とされる《永続的な例外状況》を地球上に強いようとしていると言える(2)。」
このように、同じ左翼に位置しながらも、また等しくブッシュ政権の「テロに対する闘争」に批判的でありつつも、ムフとアガンベンのシュミット評価は正反対である。
私自身は、ムフの方に軍配をあげたい。というのも少なくともシュミットの立場からすれば、《例外状況に関する決断》という主権の定義を国内的領域から国際的な領域に転用することは間違いであるからである。アメリカに世界的な《例外状況の決断》を委ねることなど、シュミットが最も嫌悪したことに他ならない。彼の国際秩序像は多数の主権国家の並存か、複数の《グロース・ラウム》の共存であった。またシュミットの《例外状態》は一時的なものであり、危機が克服された後は、もとの立憲的秩序に復帰し、人権が回復されるべきであったが、アガンベンが問題にしたのは、《永続的な例外状態》であった。新右翼のフランスの旗手でシュミット研究者でもあるアラン・ド・ブノワは、ブッシュ政権がシュミットの《例外状態》の概念を永続化し、二〇〇一年一〇月二四日のパトリオット法に見られるようにアメリカ国民のプライヴァシーの権利を《永続的》に侵害しようとしたことを批判している(3)。
私達は、《例外状態》を想定しない立憲的秩序が危機克服の能力を持ち得ないというシュミットの認識を共有しつつも、シュミットの《例外状態》が《常態化》する危険性に対して絶えず目覚めていなければならない

(1) シュミットの正戦論批判や国際秩序観に対するムフの評論に関しては、Schantal Mouffe, “Carl Schmitt's Warning on the Dangers of a Unipolar World,” in: The International Thought of Carl Schmitt,(ed.)Louiza Odysseos and Fabio Petto, Routledge, 2007, p. 147, 152-3 を参照。また大賀哲「『テロとの戦争』と政治的なるものの政治学??シャンタル・ムフの国際政治思想への展開」(『政治思想研究』、第七号、風行社、二〇〇七年)を参照
(2)George Aganben, “Der Gewahrsam. Alsnahmezustand als Weltordnung,” in: Frankfurter Allgemeine Zeitung, 19. 4. 2003, S. 33. なお、大竹弘二「歴史の終焉と政治の変容??冷戦下のカール・シュミット・サークルにおける世界内戦論」(『現代思想』、六月号、青土社、二〇〇六年)、一六〇頁を参照した。
(3)Alain de Benoist, “Global Terrorism and the State of Permanent Exception: The Significance of Carl Schmitt's Thought Today,” in: The International Political Thought of Carl Schmitt, p. 87-92.


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