伊藤美代子
(いとう みよこ 多摩美術大学芸術学科1年)
著者にとり、希望と絶望が、そして、自分が自分であることの(著者がユダヤ人であることの)喜びと悲しみがこれほどまでに表裏一体にある世界に戦慄を覚えた。それらは、対極に位置する、距離のある概念であるように思えていたが、極限状況下では、間に、まるで、剃刀の刃一枚がはさまれているだけなのである。
読み進める中で、驚き、日本人である私には理解が難しい、と感じられたことは、ユダヤ人である著者が持つ、自らの民族全体に対する誇り、ユダヤ教への絶対的信頼、そして、過去の迫害の歴史を背負う個人のあり方であった。そして、特にそれ故の自虐的ともとれる締観である。そこには、個人の観念と、民族全体――それも過去の歴史まで遡っての――の観念が錯綜しているように私に感じられた。
宗教らしい宗教を信奉しない私からすれば、常に神と対話し、過去の詩人の詩句を引用し、聖書と共にある著者の心の豊かさをうらやまずにはいられなかった。それらは、著書の中では、神に助けを求める叫びであり、理解不能な事態を冷静に分析するための手段であり、唯一の心の支えであるから、私の感想は多分に不謹慎であるのかもしれない。しかし、現代の日本人にそれほどの拠り所となる豊穣な宗教、文化があるだろうか。あるのだとしても、ほとんどの日本人はユダヤ人のようには、それを守り、継承するということをしてこなかった。また、視点を変えれば、ユダヤ人が三千年の歴史を経て現代まで生きるためには、そうでもしない限り、絶えてしまっていたであろうほどの苛酷な歴史を歩んできた、ということか。
そして、そのユダヤ人としての誇りが、ユダヤ人としての悲しみと強く手を取り合っているあり様は、私には信じがたいほどなのである。自民族の歴史を、個人である著者が背負う姿のことである。ナチス=ドイツによる激しい迫害すら、「我々はユダヤ人であるから」、「過去がそうであったから、今の状況も」という理由で、それを半ば受け容れているかのような諦観を含む言葉が日記の随所に見うけられたのに、非常に驚いた。もちろん、無条件に受け容れている、ということはあり得ない。あのような人間を人間とみなさない狂気がユダヤ人を襲ったとき、それを受け容れることなど、到底不可能である。日々、疲弊し、正常な思考が難しくなる状況下も、私には想像するしかない。それでもしかし、その理不尽さに対して、例えば、同じことが私の身に起きたとして、「それは、過去の私の民族の歴史においてそうであったから」などという理由をつけて解釈することができるだろうか。私にはできそうにない。では、私なら答えを何処に見出すのか。分からない。やはり私はそこまで自らの民族の歴史を現在、意識的に背負っていないし、過去の人々と、私個人は違う、という考えしか持っていないのである。これほど激しく、生きる喜びと悲しみが一体であるユダヤ民族に、畏れすら覚えた。また、そのためにこの民族がかくも注目を集めるのだとも感じた。
この夏、テレビで、ドイツ、オーバーアマガウ村のキリスト受難劇の是非をめぐる論争を取材した番組を、釘づけになって見た。一七世紀から、現代に至るまで一〇年ごとに村人の大半が出演者となって演じるこの伝統的な劇を観るため、世界中から何万人もが訪れるという。劇を観た老婦人が、「これを見るまで生きられて良かった。」と涙ながらに語る様子に、キリスト教信者の思いの深さがみえた。しかしこの番組では、この受難劇が、ヒトラー支配下の時代にユダヤ人への憎悪を煽動するために政治的に利用されたことなどが紹介され、今年〔二〇〇〇年〕の上演にあたっては、アメリカのユダヤ人協会から、台本のセリフを直すよう繰返し要請があり、それがある範囲で受け容れられた、というのが主たる流れであった。それぞれの宗教への思いが、三〇〇年以上受け継がれてきた台本を巡って話し合われた。問題の箇所は、イエスが死刑の判決を受けるときに、ユダヤの民衆が叫んだ「その血の責任は、我々と子孫に。」であるという。この一文が、これまでキリスト教徒らに、ユダヤ教徒を忌み嫌う正当性を与えてしまっている、というのである。聖書のその一節は、客観的な研究によれば、本来、責任をユダヤ人に負わせる文ではなかったという。そして、今年の受難劇では、何度も話し合われた結果、そのセリフはカットされ、民衆がザワザワと騒ぐだけの場面となった。私はこのことが、大変な歴史の進展であるかのように安堵したが、招待されたユダヤ人協会の人は厳しかった。「進歩は見られた。しかし、劇全体がユダヤ人に対する偏見をうむ内容であることには変わりがない。更なる検討を期待したい。」と。
二年ほど前に私は、ブッヘンヴァルトの強制収容所跡を旅行で訪れた。観光客が書き込むノートに、二度と繰り返してはならない悲劇に心を痛めた、という内容の感想が綴られる中、「ヒトラー万歳、彼は正しい」という文章があり、そして、そのあとに、それを激しく批難する大勢の人の文章が続くのを見た。収容所の資料館を見たあと、正常な神経の持主なら、冗談でもそのようなことは書けない。ぐったりとした疲労の上に更に重しが加えられたような気がしたのを覚えている。何故に、人間は同じ過ちを繰り返さずにはいられないのか、それほどに人類は愚かで、そして何より、恐るべき健忘症である。真の意味で深淵を見てしまった者は、皆死んでしまったのである。ワルシャワ・ゲットーで、激しく痛めつけられても希望を捨てずに生き、そして亡くなった者らはまるで無駄死にではないのか、そんな悲観的な気持にさせられる。しかし、結局のところ、現に生きている我々にできるのは何か。残された記録、情報、それも信頼のおける正しい情報から学ぶことしかできない。今後、自分の身に、もし直接何かが起き、それが、記録すべきであるというとき、勇気を持って記録をしたい。たとえ拙くとも、また、加害者・被害者いずれも当事者とならなければ、本当の意味での実感は得られないのが事実であるとしても、である。そして、人間が、出来る限り価値を共有するために歩み寄る理性をもつことを信じたい。その希望をもって生きたい。『ワルシャワ・ゲットー日記』を読んだことで、私の中で実際に新たに広がった世界があったからである。
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