梶原 弘和
(かじわら ひろかず 拓殖大学国際開発研究所教授)
かつて環境問題は世界の工業生産力を集中的に保持し、豊かな消費生活を享受してきた先進国の問題として認識されていた。大量生産、大量消費社会を維持し、いかに経済システムの中で汚染等の社会的費用を内部化するかが分析されてきた。また先進国は過剰な消費のゆえに環境問題を生じさせているのであるから、先進国の人々は消費を減らし、それを貧しい発展途上国の人々に移転させるべきである、というような意見も出されていた。しかし今日において環境問題は発展途上国においてより深刻となっている。一九七五年に三九・六億人であった世界人口は一九九六年に五七・五億人に達し、本年一九九九年には六〇億になると予測されている。一九九六年の世界人口のうち、世銀の所得水準別分類では、低所得国(一人当りGNP四九〇ドル)が三二・三億人(全人口の五六・二%)、中所得国(一人当りGNP二五九〇ドル)が一六・〇億人(二七・八%)、高所得国(一人当りGNP二五八七〇ドル)が九・二億人(一六・〇%)であった。出生率から死亡率を差し引いた自然増加率は低所得国でも一九七〇年の二五%から一九九六年に一七%に低下したが、この水準は日本を含む先進国が経験した自然増加率の最高水準を上回っている。各国政府の努力や国際機関の協力により発展途上国の人口増加率は低下してきたが、しかし依然として増加している。増えた人口が生産的な部門に吸収されるならば問題はないが、そうではないことが発展途上国の開発を難しくさせている。農業部門では森林や草原を耕地化し、増える人口の吸収を図ってきたが、森林破壊や砂漠化という環境問題をもたらすことになった。工業部門でも規制が緩いか、規制が無いことにより先進国よりも深刻な環境破壊をもたらした。また人口増加は農業の過剰人口を都市に排出し、都市、特に首都圏に人口を集中させて都市スラムが肥大化して都市環境を悪化させた。こうした発展途上国の環境問題は、一国内の被害に止まらず多国間に影響を及ぼしてきたことから、世界的な課題となってきたのである。
その一方で東アジアのNIESの成功は、発展途上国経済発展を保護主義から自由化へと転換させ、特にNIES発展の鍵は輸出にあるとみなされるようになった。自由化は経済効率を高め、先進国企業の投資も呼び込むことができ、NIESのように投資・輪出に牽引された発展が期待できるとみなされた。アジアでは中国やインドが政策を転換したことに自由化の世界的な風潮を典型的に示している。中国とインドは世界文明の発信地であったが、欧米諸国の力により翻弄されてきた経験から経済的に国際分業を否定してきたのである。またソ連、東欧諸国や中南米も方向転換した。アメリカの経済力を恐れて保護的な経済運営を実施してきた中南米もまた自由化し、メキシコはアメリカとの経済統合化を選択した。こうして発展途上国の自由化は環境と貿易を結び付けることになった。日本でもかつて国内の環境規制が厳しくなり、生産拠点を発展途上国に移し、環境規制が緩い発展途上国で生産した商品を輸出する事例があった。これと同じことが、NIESでも生じている。韓国や台湾で生産・輸出されてきた商品を、環境視制が緩い周辺の発展途上国に移し、商品の競争力を維持するという企業行動がみられる。経済自由化は外国民間企業の投資を増加させるために各種規制を緩和し、税制上の優遇を与えることから外国民間企業にとって生産拠点として有利になる。しかも環境等のコストも小さく、さらに労働者の賃金も安いことから企業にとって大きな利益をもたらすことになる。しかしこうした商品の輸入国は大きな被害を受けることになる。消費者は低価格の商品を消費できることからプラスになるかもしれないが、企業は大量輪入から倒産の危機に直面するかもしれない。しかも先進国や中進国からの生産拠点の移転から発展途上国の輸出品は多岐にわたり、自由な商品貿易を続けるならば輸入国は甚大な被害を被るかもしれない。
アメリカやヨーロッパの先進国が自由貿易を維持しつつもその内容を変更しなければならないと考えてきた背景にはこうした事情がある。自由貿易はすべて自由なのではなく、一定のルールに基づいて機能しており、世界的に環境悪化が問題となってきた今日においてこれを野放しにしておくことは出来ない。環境だけでなく労働、人権等も視野に入れて先進国 特にアメリカは世界経済戦略を展開してきた。アメリカがカナダ、メキシコと形成したNAFTAも戦略の一環である。先進国と発展途上国が一体化した市場を形成する場合に、生産コストとして大きな比重を占める環境規制、労働条件は規制が厳しい先進国側に不利となる。これをNAFTAの中で解決し、先進国(アメリカ)と発展途上国間における共同市場や自由貿易市場を形成する雛形となり、中南米全体あるいはAPECを通じてアジア太平洋に広げ、最終的にはWTOの世界ルールに反映させたいとアメリカは考えているはずである。かつてアメリカは冷戦時代に民主主義の普及こそが国益とみなして世界戦略を展開したが、現在は安全保障問題と並んで経済も同程度に高い優先度が与えられている。強いアメリカ経済の維持、拡大であり、そのためにはアメリカの国益に合致した自由化ルールを作り上げなければならない。その一つの実験がNAFTAであり、いかにNAFTAの形成過程においてアメリカとメキシコは議論を展開したかは、今後のアメリカの経済戦略並びに貿易と環境を考える上で重要なものである。金堅敏著『自由貿易と環境保護──NAFTAは調整のモデルになるか──』はアメリカとメキシコの交渉過程、内容、環境と貿易を考えるうえで有力で貴重な文献である。また同書は、日本およびアジアも関係しているAPECに関しても分析し,日本がアジアあるいは発展途上国の発展と環境をいかに調和的に解決できるかを考える基礎的な視点を提供している。さらに同書は環境を世界的な自由化拡大という背景で分析している。環境に関する文献は近年増加しているが、環境は環境だけを対象として解決できない。多くの発展途上国の国民は貧困状態にあり、環境問題を解決するよりもまず国民の飢えを解決することが先決である。長期的には環境悪化は開発にもマイナスであることは明白であるが、しかし今国民は飢えの解決を望んでおり、環境は腹を満たさないのである。世界的な環境悪化は人類共通の問題であり、これを早急に解決しなければならないことは確かであるが、発展途上国は開発がこれ
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