ロールズは国際正義の概念化に寄与したか?

──上原賢司著『グローバルな正義──国境を越えた分配的正義』刊行によせて
押村 高
(おしむら たかし・青山学院大学教授

ロールズの“The Law of Peoples”は、その内容はさほど難解ではないものの、位置付けが難しい。著者がハーヴァード大哲学教授、また教え子に名を成したものが多い(その中には、T・ポッゲなどのコスモポリタンもいる)という理由でその書物に言及がなされるが、注解者のほとんどはロールズの用語をなぞって解説し、しかも、万民法や国際法の他の潮流との接点を見付けられないまま、ロールズ批判に触れて終わるのが通例となっている。

タイトルにあるpeopleは、使い方が曖昧だ。同じ社会協業に参与している、また同じ法制に服す人々を示そうとしているが、これほど具体的イメージを結ばない概念の使用法も珍しい。内容との類推から国家主義者とみなされるのを嫌ったのが真意のようだが、リベラルとは正反対のマルクス主義的人民民主主義者がpeopleを好み、他方で「国連憲章」がWe the Peoples of the United Nationsで始まることをロールズは識っていたのか。

次に、ロールズの狙いもはっきりしない。国境の歴史的恣意性を不問に付し、各国家が自力で成長できると信じて疑わず、しかも「リベラルな国家」へのオブセッションを隠すこともない。改革の方向性として民主的文化に基づく分配に期待を掛けるこの書物は、実証を伴わない「デモクラティック・ピース論」のような趣さえ持っている。

もちろんグローバル社会には、ロールズが恐れ、その樹立を阻止したかった世界政府、グローバルな協業や配分を司ることのできる世界政府は存在しないし、この先も存在する見込みはない。しかし、ガヴァナンスや統治という意味での世界政治と、ほぼ全てのアクターとそのステークホルダーが相互行為を行うという世界市場は稼働している。

大国と多国籍企業が方向性を左右することの多いこのシステムは、弱者を護る法的フレームワークを持てないでいる。近年明るみに出た租税回避問題の深刻性からも窺えるように、制度を作ろうという意志の弱さこそが、不正のはびこる原因を作っている。不正義を取り除き、正義を回復するグローバルな装置とその理論的な基礎付けが急務なのである。

しかし、このような規範的要請に応えようとしないロールズは、強国優位の体制に胡坐をかく大学教授というバイアスから、また世界情勢への無知と国際感覚の欠落のために、あのように抽象的で中途半端な論じ方しかできなかった、といわれても弁明のしようがないだろう。

いずれにしても、ロールズの“The Law of Peoples”こそ、国境を越える正義を一人の人間が哲学的思惟の対象にすることのいかに無謀であるかを示した典型とみるべきかもしれない。その点で、上原賢司氏の『グローバルな正義』は、ロールズを巡る論争がもたらした理論的な混乱を収拾し、そのもつれをほぐそうとする意欲的な試みといえる。

『グローバルな正義』では、国家主義者-コスモポリタン論争に足を取られるのを避けるため、グローバルな制度的正義と国家間の相互行為的正義が分節化され、さらに理想理論と非理想(移行期の)理論とが弁別される。分配的正義が適用されるとすれば、その対象としての不正義はどの主体によるどの行為なのか、如何にすればその基点や原状を発見できるかが探求されている。

「複数国家からなる一つの世界」という前提から出発して、正義の適用対象を各国家とグローバル制度という二方向からとらえ、さらに対象を、たとえば貿易収支バランスのような国家間の協業によって生ずる成果財のみに限定する。このような正義なら「国境を越える分配的正義」の実質を構成できる、というのが著者の主張である。

従来のグローバル正義論では、ともすると先進国市民の責任意識の喚起に熱心な余り、不正義の犯人探し、また犯された行為と不正義との因果関係の探索、不正義に対する矯正的正義の析出に重点が置かれていた。さらに、運動を鼓舞できるなら論理性は多少損なわれてもよい、という暗黙の了解があったであろう。そのような過去のグローバル正義論の問題を浮き彫りにしたのも本書の業績である。

著者の観点に立脚すると、国境を越える正義に関する国家主義とコスモポリタニズムの双方の欠点と課題が見えてくる。国家主義者は、相手方であるコスモポリタンの欠点を示すだけでなく、「複数国家間の協働による恩恵を分配的正義の考察対象から外すべき論拠」をより明確に示す必要があるという。一方のポッゲのようなコスモポリタニズムの正義論は、「グローバルな一元的な制度的関係への変革を支持すべきより説得的な論拠」を呈示すべきであるとされる。

本書が「国境を越える正義」の論争に一石を投じたのは疑いのないところだが、本書のように論争的な性格を持つグローバルな正義の研究書であれば、次に英語での出版を視野に入れるべきことを付言したい 。


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