この本のテーマは端的にいえば「方法」と「応用」である。あるいは「科学」と「実践」と言いかえてもよい。政治理論をひとつの「科学」として自立させるための方法を確立するとともに、そうして得られた「知」を現実の場面に応用することが目指されているのである。そして、その背後にあるのは、「研究とは何か」また「研究者とは何をする者なのか」というアイデンティティをめぐる真摯な反省であり、評者は、なによりもまず、その「みずからの足下を見つめよ」というメッセージに強い感銘を受けた。評者は、本書を読みながら何度か「反論」したくなったが、それはまさに、本書が、評者のアイデンティティをゆさぶるような刺激的なメッセージを送りつけるものであったからにほかならない。本書は、一見すると、淡々とスマートに従来の議論を整理し、アクロバティックな論理展開や華麗なレトリックに頼ることなく、無理なく妥当な結論を導き出す、というスタイルをとっている。それゆえ、読者によっては、いま述べたような「刺激的なメッセージ」や「熱い思い」を感じ取りにくいかもしれない。だが、本書は、おおげさでなく、政治思想研究の風景を一変させるほどの爆発力を秘めた魅力的な書物である。その理由を以下に簡単に述べてみよう。
本書第一部では、政治哲学の方法論は一般的な自然科学の方法論と類比的に捉えることができるし、そうした類推作業から政治哲学は大きな示唆を得ることができると主張される。言うまでもなく、従来、哲学や思想の研究は、そうしたいわゆる科学的方法論からはもっとも遠いものと捉えられてきた。とりわけ昔ながらの哲学・思想研究においては、対象となる哲学者や思想家のあらゆる著作(私信なども含めて)を深く読み込み、ときにはその生活や仕事、家族や友人関係に至るまで把握し、ほとんどその人物になりきるほど没入することが重視された。そこまでしてようやく、ひとりの偉大な哲学者や思想家の考えを正確に理解できる、と考えられていたからである。これに対して本書は、分析哲学をめぐる議論を参照しながら、政治哲学の役割は、妥当な理由付けを積み重ねることで、個別の道徳的直観を一般的な法則へとまとめあげていくこと、そしてときには、そうして形成された一般法則にもとづいて当初の道徳的直観を修正することにある、と主張する。本書はむろん、ひとりの思想家を深く読み込むタイプの研究を否定しているわけではないが、そうしたものとはまったく異なるタイプの研究が存在すること、そしてそうした研究こそが政治哲学の王道であるべきだと力説するのである。
本書の第二のポイントは「応用」である。第二部では、以上のような方法論によって確立された政治哲学の理論を、現実の政策策定の場面に応用する意義を示すとともに、その応用方法に関する理論的検討がなされている。たとえば、理想的な状況を前提とする理想的な正義の理論とは別に、非理想的な状況を前提にした理論の探求の重要性が説かれ、前者が必要不可欠であることは認めつつ、同時に、後者のような研究があってこそはじめて理論を現実に応用することが可能になると指摘する。さらにまた、政治哲学の諸理論は、理論としての洗練のみを目指すのではなく、現実に使えるものとして捉え直し、実際の応用方法を考えることの意義を説いている。じつのところ、ともすると日本では、「理論は理論、現実は現実」と、明確に区別されがちである。「理論」はいわば「机上の空論」であり、一種の「タテマエ」であり、ただの「リクツ」に過ぎない。それに対して現場には現場の事情があり、そこでは直観や勘やセンスにもとづく、理論では割り切れない複雑で繊細な判断が要求される、というのである。むろん、このような「理論嫌悪」にはそれなりの理由や根拠があるとしても、「非理想的な理論」が発展するならば、このような二項対立的見方を採用する必要はなくなるかもしれない。現場には現場なりの「曰く言いがたい」微妙な判断が存在するとしても、そのような判断の根拠をなんとかして言語化し、一般的な理論へとまとめあげていくことで、理論と現場の距離を縮めていくことができるはずだからである。
評者自身は、規範理論の観点から公共政策を研究するものだが、以上の議論の展開に目が覚めるような爽快感を味わうとともに、これでようやく政治哲学研究者と公共政策の研究者が本格的に共同研究できるようになる、と心からうれしく感じた次第である。おそらく、本書で示される政治哲学の位置づけには、多くの政治思想・哲学研究者が反発するだろうが、筆者はそうした反発を予期しつつ、もっとも生産的で建設的な道を歩んでいるとの確信を抱いているようにみえる。そこには強い意思と覚悟が潜んでおり、あからさまに述べられることはないものの、衒学的で趣味的な研究に対する厳しい態度がうかがわれる。やや勝手な想像をまじえていえば、このような態度の背後には、「つまるところわれわれはなぜ政治哲学を必要とするのか」という根本的な問いに対する、筆者の研究者としてのアイデンティティを賭けた「答え」が存在しているように思われる。
最後に、本書の末尾に示唆される「政治倫理学」の試みを早速にすすめてほしい、という期待のことばを述べて終わりたい。最初に述べたように、本書は一方で、明確な方法論を確立し議論を精密化する方向を支持すると同時に、他方で、具体的に使える理論の開発を目指している。この二つの方向性は必ずしも矛盾するものではないが、筆者も認めているように、ぴったり一致するものでもない。だとすれば、ひょっとすると、後者を追求するには、別の種類の方法論が必要とされるかもしれない。比喩的に言えば、工学や農学や医学のような実践的な学問領域には、物理学や数学とは異なった方法論があるのかもしれない。現場に近づけば近づくほどある種の「泥沼」に足を踏み入れることになるだろうが、同時に、これまでじゅうぶんに言語化されてこなかった、「肥沃な大地」がひろがっているということでもあるだろう。ある意味で、わたしたちはようやくスタートラインに立つことができた、ということかもしれない
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