恒久平和への道を開く
──千葉眞『連邦主義とコスモポリタニズム──思想・運動・制度構想』によせて
寺島俊穂
(てらじま としお・関西大学教授

「政治理論のパラダイム転換」の一冊として刊行が待たれていたものであり、現代日本を代表する政治理論家の一人である著者の近年の理論展開を示すものでもある。同シリーズのスタートから一〇年が経つが、その間の政治動向もふまえ、長年の研究成果を集約し、示唆に富んだ内容になっている。タイトルが示すように、本書のテーマは、連邦主義とコスモポリタニズムの歴史的・思想的検討である。これら二つのテーマの基底にあるのは、恒久平和の希求であり、戦争のない世界への道筋の探求である。

現代政治理論の課題の一つが、主権や民族を軸にした政治統合の形態である近代国家をどのように乗り越えていくかにあることは、明らかである。主権国家・国民国家という近代国家の枠組みは、一九六〇年代以降の西欧諸国での民族問題や一九九〇年代以降顕著になったグローバル化によって揺らいではきたが、一方で、国民国家に取って代わる統合の枠組みは何かという議論は、進んでいるとはいえない。現実政治においても、ヨーロッパを除いて地域統合の動きは加速されていない。民族紛争は後を絶たず、ナショナリズムが再燃し、愛国心が強調される現実を前にして、研究者の関心は、むしろ民族やナショナリズムに向けられてきた。近代国家の構成原理に問題があるとしても簡単には乗り越えられないという認識から、現代の激動を分析し理解することに重点を置くのは、無理からぬことではあるが、未来に向けて長期的な展望を示すことも、政治理論の重要な課題であるに違いない。その意味で、著者が連邦主義に焦点を合わせて研究を続けてきたことには、独自の価値があるだけでなく、よりよき未来を切り開いていこうとする意志や意図が感じられる。

地球社会の政治秩序を構想する場合、多言語・多文化の人類社会を前提にして、国民国家に代わる統合のシステムを構想していかねばならないが、著者は、第一章で連邦主義の歴史・思想・制度について分析し、アメリカ型の「連邦国家」モデルとヨーロッパ型の「国家連合」モデルの双方の歴史的・思想的淵源を辿りながら、現代の論争や制度構想を明らかにしている。集権型連邦主義ではない分権型連邦主義の思想についても分析しており、第四章で取り上げられる欧州連合(EU)と合わせると、欧州連合が分権型連邦主義の思想的伝統に基づいていることは明らかである。第三章では世界連邦運動とその思想が取り上げられているが、集権型の世界国家は批判の対象となっている。著者は、第二次世界大戦後のエメリー・リーヴス、ジョン・デューイ、ラインホールド・ニーバーの世界連邦思想を検討し、核戦争の現実的脅威のなかで展開された世界連邦運動の意義と限界を明確化している。著者は、リーヴスのいうような主権国家システムの克服を軍事的主権の放棄と位置づけ、デューイのいう「戦争システム」の克服のための構想を取り上げる一方、ニーバーが政治的現実主義の立場からリーヴスを批判したように、世界共同体が形成されない限り世界連邦は現実化しえない、という世界連邦思想の限界も押さえたうえで、リーヴスやデューイの思想から「地球的実存」という視点を導き出している。著者のこのような見方は、過去の議論のなかにできる限りポジティヴな要素を発見し、政治理論として再構成することによって、忘れ去られた叡智を甦らせているといえる。

著者のそのような姿勢が最もよく現れているのが、第二章のカントのコスモポリタニズム構想についての論考である。著者は、カントが『永遠平和のために』(一七九五年)で展開した議論の詳細な分析をとおして、カントのいう恒久平和の条件の現代的な意義と時代的制約を浮かび上がらせている。とくに注目されるのは、著者がカントのいう「訪問権」に注目し、「地球の住民が、自分の国家的帰属を超えて、「世界市民」ないし「地球市民」として他のすべての人々と触れあい交流する」ことに価値を置いていることである。カントの議論における、国家連合や常備軍の廃止という制度構想だけでなく、世界市民権についての思考も同じように重要であるから、恒久平和を実現する制度を下支えするコスモポリタニズムに重点を置いて、カントを再考し、現代的に再構成していく道を示唆している。

第五章や第六章で展開されるコスモポリタニズム論は、まさしく現代のコスモポリタニズムについての論考であり、チャールズ・ベイツやトマス・ポッゲのような、貧困の問題を軸にした「世界の貧困の克服をめざすコスモポリタニズム」と、デイヴィッド・ヘルドのような制度構想に基づく「コスモポリタン民主主義」の理論を中心にコスモポリタニズムの可能性を検討している。しかも、これらの議論は、現代のナショナリズム論や愛国心論などとの対比をとおしてなされており、現実を見据えたうえで理想をめざしているといえよう。

終章における平和構築についての議論にも著者のそのような姿勢が現れており、著者は、たんに国際機関や専門家による紛争後の秩序回復だけでなく、市民社会による紛争予防や暴力克服の活動も平和構築の概念に含めている。それだけではなく、終章や付論での議論からも読み取れるように、著者自身が領土問題、戦後補償問題、原発問題などの政治問題について発言し、活動する行為者でもある。また、一方で、世界連邦や世界政府には懐疑的な現代コスモポリタニズムに注目しつつも、他方で、アレクサンダー・ウェントらの世界統合論を検討するなど、著者の眼差しは複眼的であり、文献の選択と読みは的確である。恒久平和への道筋は、分権型連邦主義とコスモポリタニズムに示唆されるが、国連改革や東アジアの和解など、解決すべき課題は多岐にわたっている。現代政治の問題状況からも目をそらさずに政治理論研究を積み重ねてきた著者の議論は、恒久平和(戦争の不在だけでなく、暴力や貧困の克服)への思考と実践に読者をいざなうものであり、評者としては、著者のマクロな理論構築の努力を高く評価したい 。


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