一七一二年六月二八日にジュネーヴに生まれ、波乱に富む六六年間を生きたジャン=ジャック・ルソーは、今なおわれわれに何ごとかを語りかけるであろう。
生誕三〇〇周年の二〇一二年は、さまざまな催し事が世界中で開かれた。日本においてもいくつか研究会が開かれたようであるが、多才なルソーの生誕を記念するにふさわしい、幅広い分野からの接近を試みた最大の行事は、二〇一二年九月一四〜一六日に東京で開催された国際シンポジウム「ルソーと近代:ルソーの回帰・ルソーへの回帰」である。このシンポジウムには、新進気鋭か重鎮かを問わず多くのルソー研究者が、日本、フランス、スイスから参加した。初日は中央大学の駿河台記念館で、二日目と最終日は恵比寿の日仏会館でそれぞれ行われた。評者も三日間、シンポジウムや懇親会に出席したが、いずれの日も気迫に満ちた報告と、熱気あふれる活発な討論を目の当たりにした。特に印象的だったのは、日本人の研究者の多くがフランス語で報告していたことと、会場が老若男女を問わずさまざまな聴衆に埋め尽くされていた点である。本書はその報告記録を収めた論文集である。記念論文集にふさわしく、関連する年表や地図も収められている。また外国人執筆者の論文の翻訳がこなれていることも指摘しておきたい。
ところで今から約一〇〇年前の一九一二(明治四五)年六月二八日、ルソーの生誕二〇〇周年を記念する晩餐会が、東京神田淡路町の料亭「多賀羅亭」において開かれ、その後場所を移して講演会が、同じく神田美土代町の「キリスト教青年会館」において開催された。晩餐会の参加者は、堺利彦と、堺の著書の版元を務めていた高島米峯の他、三宅雪嶺、荒畑寒村、大杉栄、高畠素之ら約四〇名であり、講演では堺ら六名がルソーの思想やそのアクチュアリテについて論じた。社会主義者やアナーキストと縁故の深い人々によるこの講演会の会場は、一〇〇名を超える警官隊に取り囲まれていたという。同じ年の一月には、幸徳秋水ら一二名が明治天皇の暗殺を謀ったとして処刑されている。したがって、この晩餐会および講演会は、ルソーの名を借りて、幸徳と関係の深かった堺や高島たちが幸徳を追悼しようとする意味合いの濃い政治的集会であったといってよい。実は、この時期ルソーに対する人々の関心は、『社会契約論』の著者としてのそれより、『告白』の著者としての関心におおむね移行していた。そのことは、この同じ年、『告白』の石川戯庵訳(全訳、岩波文庫版『懺悔録』)が出版されていることに象徴される。
それから一〇〇年の月日が経った。われわれは、幸徳秋水や堺利彦とは異なって、政治参加の権利や、言論の自由、学問の自由を少なくとも建前上享受する時代に生きている。この一〇〇年間、デモクラシーは爛熟し、低投票率や議会制民主主義の機能不全が指摘される時代となった。文学的にはいわゆるポストモダンが巷間にもてはやされ、内面の真実の欺瞞性が暴かれることもあった。ルソーの名を高くした人文・社会科学の分野においては特に、情報へのアクセスが容易になった分、高い実証性が求められる時代になった。研究者は皆、この規範から逃れることはできなくなっている。しかし、学問レベルにおける高い実証性を保持することと、過去の思想家の思想が持つ現代的意義とを両立させる作業は一般的にいって困難である。過去の思想家の問題意識それ自体が、思想家と彼の生きた時代との問答の産物だからである。
本書は二五本の論文からなっている。編者はこれを文学、哲学と宗教、政治哲学、受容と影響の四部に分けた。それぞれの部が五〜八章からなり、いずれも読み応えのある力作揃いである。第1部は自伝的作品や『新エロイーズ』を主たる題材としながら、ルソーにおける統一性、自己と他者などルソー研究の中心的テーマの他、広い意味での表現や言語に関して新たな議論が展開されている。第2部はまず市民宗教の問題、ついでルソーにおける認識と方法という哲学的根本問題が深められている。第3部は国家そのものについてのルソーの理論を新たに掘り起こし、また戦争や国際関係といった国と国との関係について独自の分析がなされている。第4部はルソーの思想がフランス革命や、中国、明治期日本にどのように受容されたかを従来とは異なる視角から明らかにしている。
本書の特質は、総じて高い実証性を保持した論文集だということであり、これによってルソー研究の地平がかなり開かれたというべきである。だが本書の価値はそれにとどまらない。執筆者それぞれが「ルソーへの回帰」が容易ではないことを自覚しつつも、ルソーのアクチュアリテを少なからず意識している点にある。近代は多様性にみち、ルソー自身も多様性に富んだ思想家であった。とすれば執筆者の模索したアクチュアリテも多様にならざるを得ない。だがひとつだけ明らかなことは、ルソーは今なお、人間や社会のあり方にかんして、本書「まえがき」の言葉を借りれば、われわれに「反省を迫る存在」だということである。
最後にひとつだけ、ルソー研究史において決して小さなテーマではなく、また近年、その方面の研究が進展しているにもかかわらず、ルソーと彼の生地であるジュネーヴとの関連性を直接問い直す研究が本書には見られない点を指摘しておこう。しかしそうであるにしても、ルソーの受け取り方は今なお多様であるべきであり、その導き手として本書に期待される役割は大きいことに変わりはない。