中村喜和著『ロシアの空の下』を読んで

望月 哲男
(もちづき てつお・北海道大学教授

二〇一二年一二月、モスクワで極東のロシア人旧教徒に関する貴重な書籍が出版された。『ロマノフカ村の日々』と題する三六六頁の豪華な装丁の美しい本である。これは新興財閥ポターニンをスポンサーとした『秘蔵コレクション(最初の刊行)』叢書の一巻で、日本、ロシア、アメリカの研究者が協力して、旧満州に移り住んだロシア人旧教徒集団の運命を、歴史的背景、移住の経路、信仰のスタイル、日本人との関係、第二次大戦後の運命、といった風に総合的に紹介したものだ。日本人の著者とは、もちろん旧教徒研究の第一人者、中村喜和氏である。同書の中心をなすのは書名と同じ「ロマノフカの日々」と題された二一九頁にわたるアルバムで、山添三郎を中心とした六名の日本人による二二七点の写真とそれぞれに付された詳しいキャプションが、日々の仕事から遊びまで村人の暮らしの諸相を描き出してくれる。子供や若い夫婦や老人たちの瞳と背景の空を通して、信仰ゆえに異郷に生きた人々の思いや耳に響く鳥の声までが伝わってくるような、不思議な空間がそこに開けている。同書はすでにロシア出版協会「諸文化の対話に貢献した二〇一二年度最善の本」をはじめ、輝かしい賞を受賞した。

中村氏の『ロシアの空の下』の第一部第一章は、この奇跡のような書物が世に出るまでを語ったものだ。三幕の劇にたとえれば、第一幕は満州にあった旧教徒の村の情報が国際的な学会に共有されるまでの経緯。一七世紀ロシアの典礼改革に反対して教会を去り、白水境というユートピア伝説を支えとしながら、ヴォルガやシベリアをはじめ各地に逃れ、隠れ住んでいた旧教徒の足跡を早くから追っていた中村氏が、八〇年代にロマノフカ村の存在を知り、調査を始める。そこから農業集団化時代のソ連を逃れて満州に移り住んだ極東の旧教徒グループの背景が明らかになり、満蒙開拓団との関連で彼らの村を調査していた開拓科学研究所の暉峻義等、山添三郎などの仕事が整理・再評価される。中村氏はこうした調査研究の成果を、おりしも一九八〇年代後半から国際的規模で行われ始めた旧教徒研究会議で次々と発表し、またアメリカに移り住んだロマノフカ村の元住民をたずねて、日本側の資料の裏付けを取る。そういう形でロマノフカ村の情報は広い旧教徒研究のネットワークに共有され、中村氏はノヴォシビルスクやウラジヴォストークなど各地の研究者と深いつながりを得る。

第二幕は新しい資料の発見と調査の展開。二〇〇四年に前記山添三郎の事績を調査していた中村氏は、同博士が存命であることを知って訪問し、結果として博士の撮影による大量の未発表写真を入手する。中村氏の送った写真コピーに興味を持ったウラジヴォストークの研究者ヴェーラ・コプコが、ハバーロフスク、オレゴン、オーストラリアへと旅をして関連人物をたずね、写真に写った人や物を同定する。この精力的な調査活動の結果として、日・露・米の五人のチームで写真集を出版する企画が出来上がる。

第三幕は企画の実現まで。二〇〇七年に沿海州博物館の関与でスタートした出版企画は、予定した出版社が経費不足で降板し、モスクワの出版社からの自費出版企画も噸挫という形で難航した末に、再び上記博物館の肝いりで、『秘蔵コレクション』叢書のコンクールに応募するという展開になった。二〇〇九年の秋に応募した企画は二〇一〇年春に見事採択。その後も写真一点一点の寄贈手続きや、遅々として進まぬ出版実務をテコ入れする「嘆願書」作成などのハラハラするエピソードをはらみながら、新しい著者、新しい写真資料を加えて、より充実した形で二〇一二年末に出版される。モスクワのプレゼンテーションに招かれた中村氏が初めて同書を手にする場面は、深い感動を誘うものである。

ここに描かれているのは表面的には一連の僥倖の物語であり、ペレストロイカ以降のロシア宗教史・地域史研究における環境の変化、大量の記録写真の入手、権威ある出版助成賞の受賞といった「偶然」が動力となっている。また、インターネットや電子メール、スキャナーといった調査・通信技術の進歩も、エピソードの要である。一九九〇年時点のノヴォシビルスクの研究所のように、コピー機もない状態のままだったら、物語は成立しなかったかもしれない。しかしそうした僥倖を生かし、大きな成果に結びつけたのは、もちろん主役となった国際研究者集団の地道で精力的な努力に他ならない。中村氏をはじめ、ここに出てくる人々は、単に深い学識を持つだけでなく、有意義な情報を聞きわける良い耳と、労を惜しまずに記録するまめな手と、どこへでも確かめに行く軽快な足を持っている。何よりも感動するのは、随所に研究対象に対する敬意がうかがわれることだ。「ロマノフカ村を訪ねるならば、平日には来るべきではない。村人の仕事の邪魔になるから」という山添の言葉を特筆するところひとつをとっても、それがうかがえる。やはり偶然の僥倖ではなく、地中に深く根を張った樹木に実った果実なのである。

『ロシアの空の下』に掲載されているのはもちろん旧教徒の話ばかりではない。大黒屋光太夫をはじめとする漂流民たち、橘耕齋、万里小路正秀、榎本武揚ら帝政ロシアを経験した幕末や明治の日本人、ゴロヴニン、高田屋嘉兵衛、ニコライ大主教ら日ロ交流史上の人物群が、さまざまな角度から論じられている。特に榎本武揚のシベリア日記を実際のシベリアの自然や交通状況などと絡めて語った章などは、風景が目に浮かんでくるような読後感を覚える。

多彩な題材を盛った本書にあえて通奏テーマを聞き取るなら、それは「旅」であろう。ここに出てくる人々は、皆大きな距離を移動している。しかもほとんどが、状況に迫られたまま先の見えない、しばしば不本意なる旅である。著者はそうした「流浪」のやむなき一面を理解し、同情しながらも、決してそれを受動的・消極的な営みとのみは見ていない。むしろそうした偶然を受け入れてどこにでも根を下ろし、また時が来ればよき土地を求めて移動しようとする人々の、潔くたくましい覚悟のあり方に目を向けているように見える。

旧教徒も漂流民も留学生も外交官も、自国を離れて流浪する人々は、とりあえず国家の歴史のテンポからずれて、別の時空間を生きる。だから彼らの事績の記録や研究は、しばしば一国の文化史や精神史の流れを脇から照らし出すメタ歴史的機能を帯びる。中村氏による『北槎聞略』や『環海異聞』の研究も、ロシア旧教徒の研究と同じく、公的な歴史に対するメタ歴史的立場からの検証・批判と見ていいだろう。そんな歴史へのアプローチがどういう背景からできてきたのかを、いろいろなエピソードを交えてじっくり語ってくれる本書は、いわば歴史批判の楽屋裏を見せたメタ・メタ歴史書と言えるのかもしれない。

筆者はかつて大学で中村先生から一九世紀作家メーリニコフ=ペチェールスキーの『森の中で』をテクストにロシア旧教徒の文化を教えていただきながら、心弱くもドストエフスキーなど先行研究・参考文献の多い「普通の」作家研究に没入してしまった過去を持つ。今回この小文を書くにあたって、『聖なるロシアを求めて』『聖なるロシアの流浪』『ロシアの風』『ロシアの木霊』などのお仕事を読み返し、中村先生がさまざまな資料を発掘しながら続けてこられたロシア宗教文化研究や日露交流史研究の深さと広さに、改めて敬服した。

先生の笑みを含んだよく通る声が聞こえてくるような本書も、また何度も読み直して刺激を受ける宝となることだろう 。


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