宗教をめぐる政治哲学の展開

高田宏史著『世俗と宗教のあいだ──チャールズ・テイラーの政治理論』によせ
辻 康夫 
(つじ やすお・北海道大学教授

今日、西洋世界において、宗教への関心がかつてないほど高まっている。最近に至るまで、政治と宗教の関係の問題は、立憲民主主義の確立によってほぼ解決されたものと思われてきた。たしかに、この問題が問われる局面は散発的に出現した。たとえばアメリカのキリスト教ファンダメンタリズムの興隆は、リベラリズムにコミットする人々に不安をかき立てた。しかしながら彼らの大部分はアメリカ社会の基本原理へのコミットメントを持っており、自由民主主義の体制を根本から揺るがすものとは見なされてこなかった。

こうした事情を大きく変えたのは、ヨーロッパにおけるムスリム移民の問題である。周知のように、ヨーロッパ諸国は第二次世界大戦後の復興期に多数の移民労働者を受け入れる。一九七〇年代にその受け入れが停止された後も、移民は様々な形で流入を続けている。彼らはヨーロッパ社会に定着し、やがて自らの文化的アイデンティティに目覚めてゆくが、なかでもムスリムは、強い宗教的アイデンティティを形成し、その尊重を求めるようになってゆく。しかもイスラム教と結びついた慣行の中には、西洋社会の諸原理と衝突しうる要素が含まれる。特に問題になるのは、世俗主義(国家と宗教の分離)の否定、女性の人権の制約、宗教をめぐる表現・意見表明の自由の制限などである。こうした状況のなかで、彼らの宗教的ニーズを尊重しながら、彼らを自由民主主義の社会に統合することが可能なのかどうかが、切実な問題になっている。

この問題を巡っては、リベラルな立場をとる論者の間でも、意見が大きく分かれている。一方には、自由民主主義の諸原理を厳格に守るべきであり、これに反する慣行を抑制しようとする立場が存在する。他方には、彼らを社会に統合するために、そのニーズを尊重するべきとの主張がある。両者の立場を分ける重要な論点のひとつは、ムスリムが中長期的に、西洋社会の価値観を受け入れ、西洋社会に統合されるか否か、という点である。もしこうした変容の可能性が存在しないのであれば、安易な妥協は、社会制度に深刻な打撃を与えると考えられるからである。現状においては、西洋の価値観を受け入れるムスリムが存在する一方で、これを拒否して伝統的な慣行を固守する人々も多く、決着は容易にはつきそうにない。思想的に見れば、これはリベラリズムにコミットする人々が、いまや世俗化の必然性を確信できなくなったことを意味している。リベラリズムが自明の前提としてきた歴史観がゆらぎ、これが彼らのアイデンティティを揺るがしている。したがってムスリム問題は、単にムスリムの処遇をめぐる問題ではなく、西洋社会およびリベラリズムのアイデンティティをめぐる深刻な問題を引き起こしているのである。

チャールズ・テイラーの議論は、こうした脈絡において、高いアクチュアリティを持つものである。日本においてテイラーは、コミュニタリアニズム、あるいは多文化主義の思想家として言及されることが多かったが、彼の本領は西洋の精神史の分野の研究にある。この分野の研究は、『自我の源泉』(一九八九年)にまとめられ、これが近年邦訳されたことで日本でも知られるようになった。ところで『自我の源泉』では、様々な道徳的な善・源泉の歴史的発展の軌跡が描かれながら、それらの対立・調停の可能性については議論が未完のままに残されていた。テイラーはこのテーマを宗教の役割を軸に議論することを予告していたのであるが、これを受けて書かれたのが『世俗の時代』(二○○七年)であり、公刊以来、大きな反響をまきおこすことになった。テイラーは西洋の精神史を、宗教の展開を軸にしたナラティブのもとにおく。テイラーによれば、我々は自らの歴史的な位置を知るために、このような大きなナラティヴを必要とするのであり、大きな物語が我々の視野を狭めるというリオタールの理解には問題がある。そもそも何らかの「視野」を得ようとするならば、ナラティブは不可欠なのである。実際のところ、宗教をめぐる前述のような問題状況において、多くの人々がテイラーの議論を参照するのは、それが巨視的な見通しを与えるからにほかならない。

『世俗の時代』においてテイラーは、人間の実存の条件が、超越的なものとの結びつきを希求させると論じ、宗教体験の展開の筋道を西洋の精神史のうちにたどる。テイラーによれば、西洋近代は、超越的なるものと結びつかないかたちでの道徳的源泉を発見したが(ヒューマニズム)、それが完全に自足しなかったことが、近代の思想史を通じて見て取れる。ヒューマニズムは、人間の実存が提起する問題に、完全に満足できる解決を与えておらず、つねにある種の欠乏感に悩まされてきたのである。他方、近代において宗教もまた重要な源泉を与えてきたのであり、今日、それを見失うことは西洋文明にとって大きな損失であり、非常に危険なことでもあるとされる。このようにテイラーの思想の核心には宗教論があり、テイラーの思想を評価するためには、その宗教論の分析を避けて通ることはできないのである。

高田宏史『世俗と宗教のあいだ──チャールズ・テイラーの政治理論』は、この課題に正面から取り組んだ労作である。第一部では、初期から『世俗の時代』にいたるテイラーの議論が時系列にそってたどられる。主要な著作の議論が丁寧にたどられており、読者はテイラーの政治思想の展開について、包括的な見取り図を与えられる。第二部では、三つの政治的トピック「多元主義」「暴力」「デモクラシー」が取り上げられ、テイラーの宗教論と政治論の関係が検討されてゆく。第一部が堅実な分析であったのに対して、第二部は、野心的な試みである。著者は三つのテーマをめぐるテイラーの議論を、それぞれマイケル・サンデル、タラル・アサド、ウィリアム・コノリーの思想との比較をつうじて分析するという手法をとる。いうまでもなく、これらの思想家は、宗教性については大きく異なるバックグラウンドをもち、しかもそれぞれ非常にオリジナリティの高い思想家であるから、著者の試みは非常に野心的なものであるが、著者はこれらの思想家の議論をテイラーの思想とつきあわせつつ、重要な洞察を引き出している。多くの読者が本書を手に取られ、この重要な問題の考察に導かれることを願っている


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