カッシーラー:危機を生きる精神に学ぶ

馬原潤二著『エルンスト・カッシーラーの哲学と政治──文化の形成と〈啓蒙〉の行方によせ
鏑木 政彦 
(かぶらぎ まさひこ・九州大学大学院准教授

エルンスト・カッシーラー(一八七四〜一九四五)の名は、『啓蒙主義の哲学』や『認識問題』など、数々の翻訳書を通して日本でもよく知られている。ところが、意外なことに、この著名な哲学者に関する日本語による研究書は、管見によれば、本年九月に出版された一冊しかない。それに続いて出版される本書は、日本におけるカッシーラー研究を大きく前進させる一書である。

エルンスト・アルフレート・カッシーラーは、一八七四年、西プロイセンの中心都市ブレスラウのユダヤ系ドイツ人材木商の家に生まれた。早熟な知性の持ち主であったカッシーラーは、ベルリン大学の私講師であったゲオルク・ジンメルのカント講義に感銘を受け、彼の薦めにしたがって、新カント派の指導的哲学者ヘルマン・コーヘンのもとで哲学のキャリアをスタートさせる。一八九九年にデカルト論で学位を取得し、一九〇二年には『ライプニッツの体系の学的基礎』を出版。その逸材は早くから注目され、一九〇六年に第一巻が出る『近代の科学と哲学における認識問題』によってヨーロッパ全体に広く知られるようになった。しかし、反ユダヤ的なドイツの大学界では容易に教授資格を得られず、一九〇七年にはディルタイの推挽もあってベルリン大学で私講師となることはできたものの、第一次世界大戦のナショナリズムの高まりの中でこのユダヤ人哲学者は無視され続けた。彼がハンブルク大学の教授職に就いたのは、第一次世界大戦後の一九一九年、四五歳のことである。

第一次世界大戦の際、疾病を理由に徴兵を免れたカッシーラーは、ドイツのプロパガンダに利用できる情報を得るために、フランスの新聞を読む仕事を命じられる。ドイツのプロパガンダ作成というこの仕事を通して、カッシーラーは戦争の大義の空疎さと事態の客観的状況を知ることとなる。それとともにカッシーラーは、理性中心の新カント派的哲学の限界を自覚し、新たな哲学の構築を模索し始めるのである。その作業は、もともと戦前から執筆計画が立てられていたドイツ精神史研究に即して進められ、日本でもよく知られた『自由と形式』(一九一六)と『カントの生涯と学説』(一九一八)となって出版される。前者におけるゲーテ思想、後者における『判断力批判』の重視は、新カント派的な理性主義を脱しようとするカッシーラーの思想的方向性を示している。本書の言葉を引用すればそれは「非理性的なものをも包摂しうるような合理的な思考のあり方」であり「精神全体の学」である。そして、それはやがて『シンボル形式の哲学』全三巻(第一巻「言語」一九二三、第二巻「神話的思考」一九二五、第三巻「認識の現象学」一九二九)に結実した。これらは、第一次世界大戦の危機の中で、近代的文明の進歩の果てにおいて「一九一四年の理念」に象徴される愛国的ショービニズムに覆われ、悲惨な戦争を戦うにいたったドイツ精神の立て直しの試みであったといえよう。カッシーラーの独自の哲学は、第一次世界大戦という危機を背景に誕生したのである。

しかし、危機は過ぎ去らない。前述の如く、戦後ハンブルク大学の教授職に就いたカッシーラーは、折からのワイマール共和国の危機に際して、共和国支持の講演活動を積極的に行ったが、一九三三年一月ヒトラー内閣が成立すると、一切の公職を辞してドイツを脱出する。オックスフォードに移り、一九三五年にはスウェーデンのイェーテボリ大学の員外教授に就任。第二次世界大戦勃発後の一九四一年には、さらにアメリカのイェール大学へと渡った。亡命先でも著作を発表し、日本でもよく知られた『人間に関するエセー』(邦訳名『人間』)と『国家の神話』はアメリカにおいて英語で著した作品である。この二つの著作に代表されるカッシーラーの仕事は、人間と文化を破壊しようとする全体主義に対する、シンボル形式の哲学をよりどころとする戦いであった。ところが、戦争が終局に近づいた一九四五年の四月一三日、心臓発作によりカッシーラーは突如帰らぬ人となる。享年七〇歳。ドイツが敗北するのはその翌月七日のことであった。

カッシーラーの生涯を振り返ると、その独創的な哲学の背景にはつねに戦争の影がつきまとっていることがわかる。それは同世代の哲学者においても同様である。例えば、フランスの哲学者ポール・ヴァレリー(一八七一〜一九四五)。彼は一九一九年に有名な評論「精神の危機」を発表したが、そこで「精神」とされたのは理性による普遍的な科学的思考であり、それとつながる技術的思考であった。この科学的・技術的思考によりヨーロッパは世界の覇者の地位に就いたが、しかしこのヨーロッパの生み出した「精神」が世界に移植されると、アメリカや日本が対抗する力となって登場し、ヨーロッパの地位は低下した。第一次世界大戦は、ヨーロッパが営々と築き上げた富を先端的な科学技術の成果を用いた武器に造り替え、戦勝国、敗戦国を問わず、多数の人々を殺し、街々を破壊した。ヴァレリーはここに「精神」の危機をみた。世界におけるヨーロッパの地位低下と破壊という帰結をもたらしたのは、逆説的にもヨーロッパの「精神」そのものであった。

カッシーラーもまた「精神」を問うた。それは、当初は世界におけるヨーロッパの支配的な地位を築き上げた理性的精神であった。しかし、戦争の危機の経験を通じて、カッシーラーは精神の全体を問うにいたる。彼は、ヨーロッパの優れた精神を、その優れているとされる側面のみが発展した精神の危うさの構造を、シンボル形式の哲学で描き出す。

人間精神は、自発的な形態化作用を有するという点において、単に歴史的所与を受けとる存在ではなく、自ら意味ある世界を構築する能力を有する。その人間的意味の世界は、理性的範疇に限られることはない。神話や宗教、芸術や技術も人間精神の自発的なシンボル形式である。カッシーラーは、これらの精神の自発的な形態化作用としてのシンボル形式が自由に展開する中に、人間精神の啓蒙の可能性をみた。それは、一つの理念のみが勝って他を抑圧する戦争と全体主義の精神に対する、人間解放の「新たな始まり」の可能性であった。本書は、このようにカッシーラーの哲学の特質を論述する。その証左のために本書は、カッシーラーのヨーロッパ精神史の解明のなかに、精神の「新たな始まり」を開拓しようとする理論的意図を読み解き、カッシーラーの多様な領域の仕事を一望する視座を読者に提示する。その議論は刺激的で説得力がある。

カッシーラーに対しては、啓蒙自体が神話であると、皮肉に語ることもできる。存在の根底にふれていないと、底の浅さを指摘する向きもあろう。しかし、二つの戦争の経験を刻んだ哲学からの学びを疎かにする理由はない。本書にもあるように、近代を生きるとは危機を生きるということであり、そして私たちもまたいまその危機のただ中にあって、危機を生きる精神が問われているのだから。本書は、これまで日本において疎かにされていたその学びの「新たな始まり」のための書である


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