本書はヴィクトリア朝英国で活躍したジャーナリストであるウォルター・バジョットの政治思想に関する、わが国で最初の本格的な学術的研究である。彼の経済思想を中心としたモノグラフ〔岸田理『ウォルター・バジョットの研究──経済思想および経済理論を中心として』(ミネルヴァ書房、一九七九年)〕は存在するものの、彼の政治思想に関する研究は(評者のものも含め)散発的なものに留まっており、たとえばミルのような同時代の思想家に比べ、地道な研究の蓄積も十分とは言い難かった。そうしたなかで「ビジネス・ジェントルマンの政治学」という視点から、バジョットの浩瀚な著作群を解読しヴィクトリア朝中葉における「善き統治」のあり方を解明した本書は、今後のわが国の英国政治思想史研究のみならず、英国政治・社会史研究全般にも大きな意味を有するものであることを確信する。
あえて「学術的研究」という点を強調したのは他でもない、バジョットという対象自体が「ジャーナリスティック」な物書き(「どうにでも引用できるアフォリズムの名手」)だったこともあって、「先行研究」自体が「ジャーナリスティック」な傾向にあったことは否定できないからである。ここで「ジャーナリスティック」と言うのは、けっしてたんに否定的な意味ではないが、著者の言い方によればバジョットの著作を「バジョット自身が実際に生きた時代とは異なる時代の問題に取り組んだとするアナクロニズムに陥って」(本書、一三頁)いたり、「ヴィクトリア時代中葉という時代とは無関係に成立する、抽象的理論のテキストとして」(本書、二二頁)扱ったりすることによって、そこから賞味期限の短い「印象批評」の類を産み出してきたというほどの意味である。それに対して本書は、いわばスキナー的な「コンテクスト主義的」手法に忠実に、バジョットの思想の核心が「ウィッキズム」という理念にあることを丹念に解明してゆくが、この姿勢は(自戒を込めて言えば、「生き生きとした目」の持ち主ならぬ)すでにして「成熟した目」の持ち主によってのみ可能なレベルの高さを示している。
評者が本書から得た新しい知見は枚挙に暇がないほどであるが、第一には、H・S・ジョンズの議論に即して当時の「リベラル」を「政治的リーダーシップと『世論』との関係を適切に処理することだと考えている人々」と定義したうえで、バジョットを「政治参加を通じて政治的に教育された数的多数者と政治家や知識人との意見の交換に積極的な価値を見いだした」(本書、一五頁)人物として位置づけている点である。著者からはまたしても「アナクロニズム」と批判をされそうだが、現在「リベラリズム(Liberalism)」ならぬ「リベラルであること(Being Liberal)」の意味を模索している評者にとって、この指摘はきわめて啓発的である。第二には、バジョットを典型とする「ビジネス・ジェントルマン」の国家運営法の要諦を、「『妥協(compromise)』に基づく『管理運営』」(本書、一九頁)と見なしている点である。この指摘もまた、たとえばオークショットの「国家」観やクリックの「政治」観と比較しようとする誘惑に駆り立てられる。第三には、著者がバジョットの政治思想の原点を、「一八五一年のフランス・クーデター書簡」に求めている点である。評者自身かつてこの書簡とマルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』を比較・検討したことがあるが(「現代イギリス政治思想の系譜(一)──政治の仮面劇──クランストンからバジョットへ」、『埼玉大学紀要(社会科学篇)』第二七号、一九七九年、二九─六六頁参照)、そこであらためて意識させられたのはバジョットが生きた時代とマルクスのそれとがほぼ重なることであった。事実バジョットの『イギリス憲政論』(初版)が出版された一八六七年は、マルクスの『資本論』が出版された年でもあった。この照応からいかなる考察が導かれるかは評者を含め、近代英国政治・社会思想研究に携わる者に課せられた今後の課題である。その際にはアルフレッド・マーシャルが「経済学の歴史におけるランドマーク」になるであろうと評した“The Postulates of English Political Economy”(first published in Fortnightly Review, 1876), in Economic Studiesを吟味する必要があるだろう。
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ところで本稿の冒頭でバジョットを「ジャーナリスト」と呼んだが、それはシェイクスピアから今日風に言えば「政治心理学」に到るまで論ずる言説群の書き手を最も適切に表現するものだと思うからであり、ジョージ・オーウェルが「ジャーナリスト」と呼ばれるのとほぼ同じ意味においてである。今や昔日の栄光とは程遠いとはいえ、昨今のわが国の政治言論界の質的低下に比べて、英国のジャーナリズムの質の高さには驚嘆せざるを得ない。たとえばかつてニュー・レイバーの経済政策アドヴァイザーを務め、「ステイクホルダー社会」や「30/30/40社会」という政治言語を世に広めた『オブザーヴァー』紙の元編集長ウィル・ハットン(Will Hutton)は、そうした「ジャーナリスト」の代表者である。その彼が最近著Them and Us: Changing Britain─Why We Need A Fair Society, London: Abacus, 2011において、バジョットを「偉大な経済・政治コメンテーター」と呼んだうえで、金融危機に際して「最後の貸し手」としての中央銀行の有する重要性に関する文脈で『ロンバード街』を引用するとともに、処女作The Revolution That Never Was: An Assessment of Keynesian Economics, London: Longman, 1989においても英国政治システムにおける「内閣」の独自性を説明する文脈で『イギリス憲政論』を引用しているのである。この事実は英国の政治・経済社会のあり方を論ずる際に、バジョットの言説がある種の「」としての意義をなおも保持していることを示しているのではないだろうか。
思うにかつて「われわれ」を独占していた国王の権威=権力が形骸化されて以降、英国政治の主戦場は「われわれ(俺たち)」と「彼ら(奴ら)」の境界をどこに設定し、かつ「われわれ」をいかにして拡大・強化するかにあった。遠山氏の解釈によればバジョットの意図は、ヴィクトリア時代にあって「ビジネス・ジェントルマン」を中核とする「われわれ」構築の試みであった。ハットンの意図は、キャメロン・クレッグ連立政権が推進する「大きな社会(Big Society)」という新たな「われわれ」構築戦略を批判することにある。その試みのなかでバジョットが引用されていることは、ウォルツァー的意味での「社会批評家」としてのバジョットの言説の「賞味期限」は意外に長いことの証左なのかも知れない。あえて小論のタイトルを「バジョット、われらの同時代人」とする所以である
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