- 「国際学からの予想:マツザカは今年、さらに活躍する」
- 鹿島正裕編『国際学への扉:異文化との共生に向けて』によせて
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- 平野健一郎
- (ひらの けんいちろう・早稲田大学政治経済学術院教授)
「ハーバード大学のアンドリュー・ゴードン教授は熱烈なボストン・レッドソックス・ファンである。なにしろ、生まれる前からレッドソックスのファンであった、と自らいうほどである。アンドリュー少年はボストン近郊で生まれ育ったが、彼が生まれる十年前に、彼の父親とその弟が彼らの父親、つまり、アンドリューの祖父と池で釣りをしている時に、レッドソックス不朽の名選手であるテッド・ウィリアムズと出会い、会話を交わしたことが、ゴードン家の神話として成立しており、ゴードン家一族は、男どもはもちろん、母親と叔母たちから祖母まで、女性たちも熱狂的なレッドソックス・ファンなのである。
アンドリュー・ゴードンは、最近も、日本で翻訳出版された『日本の二〇〇年?徳川時代から現代まで』が話題を呼んだ、アメリカにおける代表的な日本研究者であるが、彼の最新作は『日本人が知らない松坂メジャー革命』(篠原一郎訳、朝日新書、二〇〇七年)である。メジャーリーグ一年目の松坂大輔を考察したこの本は、二〇〇七年のレギュラー・シーズンが終わり、レッドソックスがアメリカン・リーグの東部地区で優勝したところで終わっているが、レッドソックスがその後、プレイオフを勝ち抜き、ワールド・シリーズも圧倒的な強さで勝って、ワールド・チャンピオンになったことは、日本でも知らない人はいない。なお、同書は翻訳であるが、英語の原書は存在しないか、まだ出版されていない。ゴードン教授は、スプリング・キャンプから松坂の取材を開始し、その活躍の節目節目にルポルタージュ風の記事をインターネットで日本の新聞社の友人に送信し、それが日本語に訳されて、本になったようである。
読者は「ハーバードの近代日本史の先生がそんな本を書いてもいいのか」と訝るかもしれない。ボストンを中心とするニューイングランドの熱狂的なレッドソックス・ファンたちは自分たちを「レッドソックス・ネーション」と自称する。それほどレッドソックスに狂っているので、大学の教授がこういうことをするのも好意的な目で見るということがまず、あるであろう。ゴードンは、シーズン中、フェンウェイ・パークでたくさんの試合を観戦したのはもちろん、レッドソックスのオーナー、監督、コーチなど、たくさんの関係者にも精力的にインタビューをした。周囲は、大学教授の取材活動を微笑ましいと見てもいたのであろうが、やはり、日本研究の専門家による日本研究の試みとして許されたのであろう。確かに、野球文化を通じて、日本理解を深めたところがあるといえる。
しかし、この本には、日米野球文化の違いとか、日米野球文化の間の交流とか摩擦という次元を越えて、もっと深いところで文化を総合的に捉えているところがある。ゴードンが「松坂メジャー革命」と呼ぶところのものもそのような理解から生まれて来る。
ゴードンによれば、レッドソックス松坂の意味は、第一に、前回(二〇〇四年)のワールド・チャンピオンのあと、いささか弛緩したムードに落ち込んでいたレッドソックスのチームとファンに活を入れる、新来の要素、未知の外来文化要素というところにあった。松坂現象の第二の意味は、松坂の大リーグでの活躍が「アメリカの国技の発展とグローバル化の壮大な物語の一ページになる」ということであった。そのこととつながる第三の意味は、レッドソックスの「日本戦略」が「強いチームを作り上げようという企図であると同時に、……強い人種差別球団だった歴史を打ち消そうという現在〔も〕進行中の作戦でもあ〔る〕」ところにある、とゴードンはいう。国際的な文化の移動と接触による「革命」である。
しかし、レッドソックス松坂の最大の意味は、さらに優れて文化的なものである。よくある日米野球文化論は、日本野球のスタイルは日本文化そのものであるといったり、日米間の野球スタイルには本質的な違いが存在するといって、いろいろな特徴を指摘したりする。ところが、ゴードンは「こういう日米の差異は流動的なものであって、時代とともに変わる。ひとくちに一国の文化といったところで、それはそれは幅が広いものだ。逆に言うと、違う文化の中にも深く共通している点をいくつも発見することができる。そして最も大切なことは、異文化同士が相互に影響を及ぼし合い、時代とともに劇的に変遷しているということである。これはスポーツ界でも、家族でも、会社でも起こっている。文化というものは、歴史や地球レベルの交流のなかで形作られていくものなのだ」という。国際学は、文化をまさにこのように国際的に捉えるものである。
レッドソックス松坂現象を考えていると、日本野球という文化、アメリカ野球という文化の上に、「野球文化」という文化があるのではないかと思えてくる。松坂も他のレッドソックスの選手たちも、そしてイチローも松井も、皆、一つ上の「野球文化」を目指して、より完璧を求めている仲間であるように思われる。実際、松坂や岡島の練習方法からアメリカの選手、コーチが学び、これまでのプレースタイルと違うものを試してみようとする動きもあり、レッドソックスのジェネラル・マネジャーは松坂と岡島の去年一年間を「相互理解と相互適応の一年」だったと総括しているという。まことに、「レッドソックス松坂」は正真正銘の国際文化論である。
毎試合ベンチの中で見られた松坂の通訳は、ゴードン教授の学生だったという。ゴードン先生の高い評価とは反対に、私の見方は、あの通訳がコミュニケーションの助けを十分に果たさなかったことが一年目の松坂の不本意な成績の原因の一つである、というものである。さて、今シーズンは、松坂は日本野球とアメリカ野球の間で、いってみれば相互理解と文化交流をさらに深めるであろうから、より高いレベルの野球文化に向かって、さらに素晴らしい活躍をするに違いない。マツザカが今年、さらによい成績を上げることは、国際学・国際文化論からの確実な予想である。
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