ヘラー理論の現代的意義
H・ヘラー著『ヴァイマル憲法における自由と形式:公法・政治論集』によせて
高田 篤 
(たかだ あつし・大阪大学法学研究科教授)

 
ヘルマン・ヘラーが「社会的法治国家」(sozialer Rechtsstaat)の概念・理論を首尾一貫した形で提唱した最初の論者であることは、日本においても比較的よく知られている。しかしながら、それにもかかわらず、ヘラー理論の重要性については、必ずしも十分に理解されていないように思われる。それは、ドイツにおける「福祉国家」(Wohlfahrtsstaat)から「社会国家」(Sozialstaat)への展開が、−−実は日本の展開もそれと並行性を有していたにもかかわらず−−日本において広く了解されてはいないためであろう。
すなわち、ドイツにおいては、一七・一八世紀に、公共の福祉(salus publica)を根拠として、法的に無覊束な「警察」(Polizei)活動が、人民のあらゆる生活領域に高権的かつ後見的に及んでいった。このような啓蒙絶対主義的なあり方の「国家」が、「警察国家」(Polizeistaat)と呼ばれ、一八四八年・四九年の革命に際しては、「警察国家」から「法治国家」への転換が主張されたのである。しかしながら、結局、「下からの近代化」が挫折すると、ビスマルクによって、「鞭と飴(甘味パン)」(Peitsche u. Zuckerbrot)の政策が、典型的には社会主義者鎮圧法という治安政策と社会保険の実施という「社会政策」とが並行的に採られた。つまり、民主制や法治主義の発展を押しとどめるために福祉政策が採用されたのである。このように、ドイツの法や政治においては、伝統的に、福祉・社会政策が民主制や法治主義と矛盾・対立し、「国家」がパターナリスティックなあり方をしていた。こういった「国家」が、「福祉国家」と呼ばれ、後に否定的に評価されたのである(1)
こういったドイツの法や政治のあり方に抗して、「社会的法治国家」の概念・理論を提唱したのが、ワイマール憲法を強力に擁護した国法学者ヘラーであった。すなわち、ヘラーは、「市民的民主制」(b殲gerliche Demokratie)の要請を「社会的民主制」(soziale Demokratie)の形へと転回させること、「実質的法治国家思想」(materieller Rechtsstaatsgedanke)を労働と財貨の秩序にまで拡張すること、「自由主義的法治国家」(liberaler Rechtsstaat)を「社会的法治国家」へと移行させることを主張した(2)。つまり、ヘラーにとって「社会的」(sozial)なものの促進は、民主制や法治国家と一体たるべきものだったのである。
もっとも、「福祉国家」から「社会国家」への転回が意識されているドイツにおいても、日本ほどではないが、ヘラー理論の意義の理解が不十分なように見受けられる。本来、「社会的」なものの促進と民主制・法治国家とを一体のものととらえ、そこにおける法律の意義を強調するヘラーの立場は、ワイマール憲法に適合する理論として、既にその下において貫徹されるべきものであった。しかし、この立場は、ボン基本法の制定(3)、ドイツ社会法典三一条の制定(4)、そして、連邦憲法裁判所の判例・学説で「本質性理論」が一九七〇年代に採られるようになったこと等によって、ようやく実際にドイツに定着したのである。しかも、そこでは必ずしもヘラー理論が主導的な役割を果たしたわけではない。
ドイツにおけるヘラー理解の不十分さの原因は、ヘラーの民主制や法治国家をめぐる理論の型、特にそこにおける法律の位置づけがよく理解されていないことにあるように思われる。それらを単純化してまとめると、次のようなものとなろう。領域的決定の単一体(Einheit der Gebietsentscheidung)と定義される国家において、民主制は、下から上に向けての意図的 (bewuァt)な政治決定たるものであり、多様な人民(Volk als Vielheit)は、決定を通じて、自らを単一の人民(Volk als Einheit)へと意図的に形造るものである(5)。また、「実質的法治国家思想」は、自由と平等を二つの構成要素とするが、この「実質的法治国家理念」(materielle Rechtsstaatsidee)の自由の理念は、法律を通じての人民の自己決定、全ての国家行為が法律において表明される一般意思によって決定されていること(Determination)(6)を原理として求める。そして、法律は、最高法規(oberste Rechtsnorm)であり、高められた実質的妥当力(erh喇te materielle Geltungskraft)を有し(7)、法治国家は、あらゆる国家機関が法律に可能な限り拘束されていること(m喩lichst enge Bindung)を要求するのである(8)、と。
これを見れば、ヘラー理論が、「立法者は、法治国家原理と民主制原理によって、本質的決定を行政に委ねずに自ら行うよう義務づけられる」、というように要約できる前述の「本質性理論」にとって先駆的なものであることが理解されよう。また、第二次大戦後のドイツにおける最も傑出した国法学者の一人であるベッケンフェルデと、その直接的影響で確立した連邦憲法裁判所の判例・通説は、国家の任務を担い、国家の権限を行使するにあたって必要とされる民主的正統性について、作用的・制度的正統性、組織的・人的正統性、事項的・内容的正統性という三つの型体(Form)が不可欠のものとしてあるとする。そのうちの事項的・内容的正統性は、一つには、国民代表機関たる議会によって法律の形で法が定められ、他の全ての国家機関が法律に拘束されていることによって、もう一つには、与えられた任務の行使の仕方について民主的責任を負うことによって、創出されるという(9)。ここにも、ヘラー理論の明かな影響を見いだせよう。
このように、ヘラー理論は、格闘するに価するものであり、日本においても、ドイツにおいても、その重要性・意義がより適切に評価され、その分析が進められねばならない。幸い日本においては、ヘラーの諸著作の翻訳作業が進み、その前提条件が整えられてきた。ヘラーが多くの読者を獲得するよう期待される。



(1)これに対してイギリスにおいては、「福祉国家」(Welfare State)が肯定的な概念として成立・存在したが、戦後日本における「福祉国家論」の隆盛は、むしろイギリスの影響によっている。
(2)H. Heller, Rechtsstaat oder Diktatur, in: ders., Gesammelte Schriften 2. Band?Recht, Staat, Macht, A. W. Sijthoff, 1971, S. 448ff.(今井弘道他訳『国家学の危機』風行社(一九九一年)一二六〜一三〇頁参照。)
(3)その二〇条一項は、ドイツ連邦共和国を「民主的かつ社会的な連邦国家」と規定し、二八条一項は、ラントにおける憲法秩序が基本法の趣旨に即した「共和制的・民主的および社会的な法治国家の諸原則」に適合していなければならないとする。また、八〇条一項は、法律によって、連邦政府、連邦大臣またはラント政府に法規命令を発する権限を与える場合、「与えられる権限の内容、目的および程度は、法律において規定しなければならない」とする。
(4)「本法典の社会給付領域における権利・義務の創設、確定、変更あるいは取消は、法律が規定あるいは許容する場合にのみなされてもよい」、と規定している。
(5)H. Heller, Politische Demokratie und soziale Homogenit閣, in: ders., Gesammelte Schriften 2. Band, S. 424ff.(今井弘道他訳『国家学の危機』風行社(一九九一年)九四〜九九頁参照。)
(6)カール・シュミットが決定する者に、ハンス・ケルゼンが決定そのもの・決定の理念・決定の可能性に定位するのに対して、ヘラーは決定されていること・決定されたものに定位しているのである。
(7)ヘラーは、この点について、自らの立場がケルゼンの法段階説と同一視されることを拒絶している(VVDStRL 4, S. 202ff.; 大野達司他訳『ヴァイマル憲法における自由と形式』風行社(二〇〇七年)一一七〜一一九頁参照)。ヘラーの立場からすれば、法律の高められた妥当力は、法段階説のような法律の相対的上位性に由来するのではなく、実質的・絶対的上位性(法律とその他の下位法という二段階区分における絶対的相違)に由来するのである。
(8)H. Heller, Der Begriff des Gesetzes in der Reichsverfassung, in: ders., Gesammelte Schriften 2. Band, S. 224ff.(大野達司他訳『ヴァイマル憲法における自由と形式』風行社(二〇〇七年)八九〜九一頁参照。)
(9)E.- W. B喞kenf嗷de, Demokratie als Verfassungsprinzip, in: J. Isensee/ P. Kirchhof, Handbuch des Staatsrechts, Dritte Aufl., Bd. II, C. F. M殕ler, 2004, Rn. 14ff.(ベッケンフェルデ著/初宿正典編訳『現代国家と憲法・自由・民主制』風行社(一九九九年)二一五〜二一八頁も参照。)



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