ロシア文化の強い香りに誘われて……
中村喜和著『ロシアの木霊』によせて
和田あき子 
(わだ あきこ ロシア文学史)

 この一五年ほど講座編成に関わっている世田谷区と川崎市の市民大学で、何度か中村さんに講義を引き受けていただいた。中村さんも市民聴講生に話をするのをいかにも楽しんでおられるふうであり、定年退職した男性の多い聴講生たちも一歩踏み込んだロシア理解が得られて、満足度は高かった。世田谷市民大学での講義の時は、ちょうどロシア科学アカデミー金メダル受賞の時と重なり、授賞式から帰られると、その金メダルを教室で見せてくださった。そのお人柄から、私の想像ではかなり照れておられたにちがいない。しかしその印象はよほど強かったらしく、いまでも当時の聴講生たちと会うと、その時の興奮に話が及ぶ。
一二回の講義が終了してしばらくして、「区内の全図書館を探して、中村先生の本を読みました」と言われた男性があった。それまでの狭いロシア観から自己を解放できたという、その人のうれしそうな表情が記憶に残っている。その時にはあらためて、ロシアのような広大な、独特の歴史をもつ国は「当面の状況から思いきり視点をうしろにひいて対象を眺めるのがいい」という中村さんの持論の強みを思い知らされた気がした。
『ロシアの木霊』には、「『イーゴリ軍記』と『平家物語』??色彩の構造から見た比較など」という論考をのぞいて、二〇〇一年から二〇〇五年までに書かれた二七篇が「名所旧蹟(世界遺産)めぐり」、「キリスト教諸派」、「中世の文学と社会」、「ロシアの人びと、日本の人びと」、「日露交流」に分けられて収録されている。『遠景のロシア』『ロシアの風』に続く三冊目のエッセイ集であるが、旧教徒、中世、日露交流の人びとといったご専門のテーマが、アングルを変えながら取り扱われており、その研究方法、記述のスタイルの個性はまったく変わらない。「ロシア文化の強い香りに誘われてさまようことが心地よい」という著者は、健在である。中村さんは文献の上をさまようだけでなく、関係のあるさまざまな土地、建物、人びとにさそわれてさまようのであるが、そのさまよい方は並はずれていて、こうした学色をもつロシア史研究者はざらにはいない。
研究者の心地よさが、読む者の心地よさになるのも中村さんのエッセイの魅力である。世田谷市民大学の男性が体験したのもそれであったにちがいない。そしてそれを可能にしているのは、深みにはまっていても決して押しつけがましいところがなく、ほどよい距離で史実を見る平静さと、平明で端正な文章だと私は思っている。「レオンチイ神父」というエッセイ(一八三頁以下)にはこんな場面がある。
二〇〇三年秋、中村さんは研究者仲間と一緒にモスクワの旧教徒の教会である神父を待っていた。神父は時間通りに姿を見せ、中村さんたちは二階に案内された。「私はこのとき神父に対する旧教徒の挨拶の作法を目のあたりにした。神父の真ん前の床に両ひざをつき頭をたれて一礼し、神父の右手をおしいただくのである。ただ、この動作が実にすばやく文字どおり一瞬のうちに流れるように行われるので、うっかりしているとひざまずくのも立ち上がるのも見逃してしまいそうである」。心がふるえたにちがいない場面は、こうした文章によってまるで映像をみているように私たちの脳裏に焼き付けられるのである。
これもずっと感じてきたことであるが、中村さんの視野にはいつも、ごく自然に女性が入っている。もう三〇年も前のことになるが、世界の女性史シリーズのロシア篇『大地に生きる女たち』でご一緒させていただいたことがあった。中村さんの担当は「中世の女性」であったが、その時から歴史の中の女性たちへの中村さんの関心は高かった。女性もロシアの遠景だという意識をお持ちかどうか知らないが、その取り上げ方はさりげなく、にもかかわらず大きな歴史と直結している。
本書の「名所旧蹟(世界遺産)めぐり」でも、スーズダリではソロモーニアという、子宝にめぐまれなかったために夫ワシーリー三世に剃髪させられ、修道院に送られたモスクワ大公妃、ペテロパウロ要塞ではエリザヴェータ女帝の娘だと自称してエカテリーナ女帝を脅かし、この要塞で獄死した公女タラカーノワ、エルミタージュ美術館ではイコン画家山下りんが取り上げられ、その数奇な運命に光が当てられている。中村さんならではの選択である。その他にも、一八七八年にペテルブルグ特別市長官を狙撃したナロードニキ女性革命家ヴェーラ・ザスーリチ、『復活』のカチューシャを演じ、「カチューシャの唄」を流行させた同郷の松井須磨子、チェーホフを日本で最初に翻訳した瀬沼夏葉について語られている。
本書の最後には「ロシアの列車時刻表」という多少異色の文章が入っている。モスクワで二〇〇四〜二〇〇五年版の時刻表を手に入れた中村さんは、時刻の表示、国内列車や国際列車の運行状況、列車の名前、はては全ロシアの駅が六一六四あることを突き止めるという熱中ぶりである。そもそもこの時刻表を買ったのは、オレーホヴォ=ズーエヴォという駅を探して、友人を訪ねるためであったが、この時刻表は一五〇〇部しか出ていないことがわかる。「駅の数にも満たないほどの小部数でどうやって需要を充たすことができるのだろうか」とこの文章は結ばれている。
とんでもないところのある、おもしろい、すごい国だよ、ロシアは。五〇年以上もロシアの歴史と文化を研究してきた大家は苦笑いしている。批判を持たないわけではない。しかしこのおどろきをこの国とまるごと向き合う力にし、魅力あふれる論考を誕生させているのが中村さんの仕事である。



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