ヘルマン・ヘラーと丸山眞男
H・ヘラー著『ナショナリズムとヨーロッパ』
によせて
植村和秀 
(うえむら かずひで 京都産業大学教授/政治思想史)

 ヘルマン・ヘラーは重い。シュミットの鋭さやケルゼンの美しさに比べると、ヘラーはどうしても鈍重である。論理の離れ業に驚嘆したり、見事な整頓振りを嘆賞するには、ヘラーは不向きである。しかし、この重さは、ヘラー自身の筆の重さだったのか、それとも彼が直視した現実の重さだったのか。いずれであったろうか。

シュミットやケルゼンよりも、ヘラーを高く評価したのが、丸山眞男であった。石田雄教授は、一九八〇年代半ばの丸山の研究報告の要旨を、以下のように紹介されている。

「――ケルゼンの法学的ニヒリズムに対して、シュミットは政治的ニヒリズムに陥ることによって正統性と合法性の関連づけに成功しなかったと丸山はみる。これに対してヘラーは、合法性と正統性を区別した上で両者を架橋しようと努力する。――ケルゼン、シュミット、ヘラー三者の合法性と正統性に関する論議を紹介した後、丸山は両者を峻別しようというシュミットの鋭さを認めながら、その危険性を適確に示したヘラーに賛成する」。(「『正統と異端』はなぜ未刊に終ったか」)。

丸山は、合法性と正統性を架橋せんとするヘラーの学問的試みを高く評価した。その丸山の視線の先には、理論と現実を架橋せんと苦闘するヘラーの姿がなかったか。理論にも逃げず現実にも逃げず、現実の重さを直視して悪戦苦闘するヘラーの姿がなかったか。そして、そのヘラーの生の姿が、丸山自身の生の姿に通じていたのではなかっただろうか。「理論と現実の弁証法的統一が実践である」(『自己内対話』)という丸山の言に、ヘラーの姿を見出したくなる気持ちを、筆者は禁じえないのである。

*   *   *

そのようなヘラーの姿は、『ナショナリズムとヨーロッパ』に収録された諸論考にも感じられる。そこには、現実の制約を直視し、状況を総合的に判断し、具体的に適正な結論を見出さんとする心が感じられる。しかし、その心は届いただろうか。

例えば、ドイツ系少数民族問題である。ヘラーは、この問題をあえて取り上げた。しかし、ドイツの社会主義者にとって、この「在外同胞」問題は、魅力的とは言いがたかったであろうし、ドイツ「本国」の世論もまた、この問題に冷淡であった。「本国人」の冷たさは、どこでも変わらない。そして、その冷たさが結局、よりによってヒトラーに、大手柄を独占させることを許したのではなかっただろうか。

恐らくここには、ヘラーの出自が関連しているのであろう。ヘラーは、ハプスブルク帝国領のテッシェンの出身と聞く。この町は、帝国崩壊のどさくさに、チェコスロヴァキア政府によって力ずくで半ばが分捕られ、半ばはポーランド領となった。ズデーテンと総称されるようになった諸地方と同じで、住民の意思を無視し、暴力によってチェコ政府が併合したわけである。やがてそのつけは、ほぼ同時に払わされることとなる。一九三八年のミュンヘン会談の末に、ヒトラーはズデーテン地方を「取り戻し」、ポーランド政府はテッシェンの半ばを「取り戻した」。ちなみにハンガリー政府も、マジャール系住民の諸地域を「取り戻した」。かくしてチェコスロヴァキア政府の拡張主義は頓挫したわけである。

ヘラーは、このような町の出身であった。その現実の重さを知っていることが、あるいは、社会主義者も含めた「本国人」たちとの違いになったのかもしれない。思えばヒトラーもまた、ハプスブルク帝国領のブラウナウの出身であり、「本国人」たちと異なる政治的嗅覚を身に付けていた。住民自治の精神から見ても、民族自決の原則から見ても、ほぼ全く正当なズデーテン地方の「回復」は、オーストリアの「回復」とともに、ヒトラーの絶大な功績になってしまった。ヒトラーの頭上には倫理的な後光が輝き、ヒトラー政権をクーデターで打倒する見込みは潰えた。ヘラーの声が届いて、ヒトラーとは違う解決策が、他の政治勢力によって行なわれていればと考えても、それは、はかない夢の繰り言であろうか。

周知のように、ヒトラーの解決策は破局への道であった。ヒトラーは、カール・ハウスホーファーのような理性的な戦略家の制止を振り切り、チェコスロヴァキアを解体して破滅へと突進していく。ヒトラーに期待した「在外同胞」は、ヒトラーに政治の道具として弄ばれ、第二次世界大戦終了後の凄まじい民族浄化の被害者となる。ヒトラーと暗に連携したポーランド政府とハンガリー政府は倒れ、戦後に、両政府が「取り戻した」地域はチェコ側に「返還」された。このような転変は以前に総括的に書いたことがあり、ここでは深入りしないが、ヘラーが在世であったら、いかに感じたことであろうか。ヘラーは亡命先のマドリッドで、すでに一九三三年に客死してしまっていた。

*   *   *

「理論と現実の弁証法的統一が実践である」という丸山の言は、やはりヘラーを思い起こさせてならない。社会主義と国民主義の連結、社会的法治国家の目標、国家の直視、ヴァイマル共和国の擁護、ファシズムによる法治国家破壊への憤激、その生涯の事績など、総じてヘラーから丸山を連想させられるものは多い。しかし、丸山がヘラーを高く評価したにせよ、丸山の論理は、むしろシュミットを連想させる鋭さに満ちている。丸山を読むと、人はその離れ業に驚嘆させられるのである。それは、ヘラーとの文体の相違であったのか、それとも、ヘラーとの実質的な相違であったのか。あるいは、ヨーロッパと日本との歴史的相違の反映であったのか。一概には決めかねるヘラーと丸山の関係は、ヘラー研究と丸山研究の双方から、今後、埋めていかれるべき課題であろう。丸山研究の活性化している現在の日本において、ヘラーの『ナショナリズムとヨーロッパ』は、そのような視点からも読み直されるべきである



!すべての文章の無断転載を禁止します。!