軽薄な連帯でも濃厚な憎悪でもなく
M・ウォルツァー著『道徳の厚みと広がり』
によせて
藤野 寛 
(ふじの ひろし 高崎経済大学助教授/哲学・倫理学)

 私が初めて知り合った外国人は、一九六八年にスイスに亡命したチェコスロヴァキア人で、母親はユーゴスラヴィア人、という人だった。今日では、父がスロヴァキア人、母はセルビア人ということになる。彼の話でとりわけ印象的だったのは、罵りと嘲りの口調で面白可笑しく語られる、ソ連人(ドイツ語ではロシア人と言うことになるが)に関するエピソードだった。例えば、アイスホッケーのチェコ対ソ連戦が、スポーツマンシップなどそこのけに、つのる日頃の恨みをぶつけ合えばこそ、どれほど激しい肉弾戦にならずにはすまないか、といった内容。日本にいて、東西の冷戦構造という大きな物語を文字通りに信じていた私にとって、東側の人間がソ連を心の底から憎んでいる、という事実は――頭で理解することは難しくはなかったが――私の単純な世界地図にひびをいれるに十分に意外であり新鮮でもあった。

『道徳の厚みと広がり』の冒頭にウォルツァーが引き合いに出す一九八九年のプラハのデモの光景を、私は、やはり行進する人びとに「好意と同意」を寄せつつテレビで見ていたのだが、しかし、彼らを結びつけていたに違いない「ロシア人への憎悪」や、失われたものに対する愛惜の思いなどといったものとは無縁なところで、そうしていたにすぎない。

「差別抑圧された人民と連帯するぞ」――学生時代、政治的運動の末端に引っ掛かっていた時、参加したデモや集会の場で、私はこの種のシュプレヒコールを何度口にしたことだろう。それなりの高揚感(「情熱的なこだわり」)とともに叫んでいたことは間違いないのだが、しかし、いかにも「薄っぺら」という印象の免れないものであり、当時も薄々はそう感じていたに違いない。「連帯」というが、一体何が共有されていたというのか。そもそも、何を共有しようとしていたのか。「広く薄い」道徳によって共有されていたのは、ウォルツァーが言うように、「共通の敵という感覚」だけだったのかもしれない(それすら怪しいものだが)。

ある理論や思考は、それがあてはまる人の数が多ければ多いほど優れている、言い換えれば真理に近い、とわれわれは考えがちだ。だから、世界中の人々にあてはまるような理念(「道徳のエスペラント語のようなもの」)――例えば「正義ある世界」――の方が、特定の人、場合によってはたった一人の人にしか向けられないような理念――例えば「愛ある家庭」――より、アンガージュマンの対象としてよりふさわしい、とも考えられたのだ。世界を良くするための政治運動は、家族の問題に心をくだくことよりも(男として!)立派な行いである、というような考え方であって、それどころか、後者のような行動は、「小市民的」と断罪されて軽蔑の対象にすらなった。

「あてはまる人の数が多い」あり方を、ウォルツァーは、「広く薄い」と形容する。(そのこと自体、私にはすでに新鮮だった。)それに対して、特定の、数少なく限られた人びとに向けられる心配りは、狭いけれども「厚く」て「濃い」のだ。この対比において重要なのは、どちらかがより優れている、というようなことは言えない、という点にある。デモに行くより家で子供の世話をすることの方が重要だ、と考えることは少しも誤りではないのであり、一九八九年のプラハにもそうした人はいたに違いない。

ウォルツァーを読むことの知的興奮は、いつのまにか自らの左翼的経験や思考に関係づけながら読んでしまっているという点、しかも、的確な批判を受けてそれらに揺さぶりをかけられずにはすまないような仕方で読むことになるという点に由来する。(本書の第四章には「左翼」という言葉が頻出する。)「左翼的条件反射」とでも呼ぶしかないような思考パターンに自分が囚われていることに気づかされるというのは――気づくことはすでに距離を置くことだから――嬉しい経験だ。

そもそも、アメリカ合衆国という国に左翼が存在するということ自体、私にはちょっとした驚きだった。(同じことを日本という国に置き換えて驚く人も、世界には少なくないのだろうが。)しかし、ウォルツァーのような人の存在とその思考を知り、またローティの『アメリカ 未刊のプロジェクト――二〇世紀アメリカにおける左翼思想』(晃洋書房)を読んで、私は、むしろ「アメリカ合衆国の左翼」に対する関心と信頼さえ抱くようになっている。ソ連であれ中国であれキューバであれ、現実に存在する社会主義国に期待をつなぐという可能性をはなから封じられた場で左翼であるということが、幻想からもっとも自由な左翼というあり方を生み出したのではないか、と。(むろん、今だに「左翼」などという言葉にこだわっていることが愚かなのかもしれない。かつてのチェコに、一体、「左翼」という、どんな人たちが存在しえたというのか。)

「広く薄い」道徳が「厚く濃い」道徳より優れているわけではない。しかし、だからといって、その逆が正しいと受け止めるとすれば、それもまた誤解だろう。「濃い道徳」の濃さとは、例えば「憎悪」を実質とするもの(「近隣の民族への憎しみに満ちている歌や物語」)でもありうるのだから。「広く薄い」道徳のみを拠り所としてイラクの人々と連帯できると考えることが軽薄であるからといって、それが、イラクで起こっている出来事に対する無関心(自衛隊まかせ)を正当化する理屈になるものではないことも、また確かなはずだ。内側からはマキシマリストとして、同時にしかし、外側からはミニマリストとして、「批判」的アンガージュマンの可能性はともに開かれている――それは、ウォルツァーの言う通りなのだと思う。肝に命じたい。



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