- 日中双方の事情を理解する新たな国際分業論
範建亭著『中国の産業発展と国際分業――対中投資と技術移転の検証』によせて
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- 関 満博
- (せき みつひろ 一橋大学大学院商学研究科教授/地域産業開発論)
一九七〇年代末に経済改革、対外開放に踏み出した中国は、この四半世紀の間に劇的な経済的な発展をかちとった。中国の各地の経済開発区を訪れると、世界の企業が立ち並び、あたかもオリンピックではないかと思わせる光景に目を奪われる。日本企業もこの間、プロジェクト件数でおよそ二万件も進出しているとされ、日本国内では「産業空洞化」が懸念されている。私自身は八〇年代中頃から「現地」に向かい、この二十年、その変化を見続けてきた。そして、中国の「現場」に踏み込むほどに、日本産業と中国産業がますます緊密になってきたことを痛感させられてきた。
当初の「安くて豊富な労働力」を求めて中国に輸出生産拠点を形成するという時代から、現在は「世界の市場」「世界の頭脳」の中国が注目されている。さらに昨今は、日本からの一方的な進出に加え、中国企業の日本進出も注目され始め、日中の産業、企業をめぐる議論は、次第に双方向的な意味を帯びつつある。こうした時代、日本と中国の産業、企業が共に繁栄できるあり方を模索しつづけることが、研究者の最大の責務になってきたように思う。
近年、日本の書店では、中国関係の著作は山をなしている。ただし、その多くは興味本位のものが多く、しっかりとした理論と実証に裏付けられたものは少ない。特に、日中の双方の事情に深く通じ、バランスのとれた視点で、しかも周到な調査研究をベースにするものとなると、さらに少ない。若いエネルギーのある研究者の登場が待たれている。
この度、公刊された範建亭氏の『中国の産業発展と国際分業――対中投資と技術移転の検証』は、「日中間の産業の分業関係」に着目するものであり、十二年間の日本での留学生活により大きく育った若い中国人研究者の、その日中両国への「思い」を結実させたものとして注目される。
範氏は「はしがき」の中で、「一三億人の人口を持つ中国の産業発展は世界に大きな影響を及ぼしており、国際分業の視点からその発展要因を解明することは、日本をはじめとするアジア諸国の産業構造、ひいては世界経済のあり方にも大きな意味を持つことになる」と述べ、大きく二つの視点から問題に切り込んでいく。
第一に、「貿易や直接投資などの進展が中国の産業発展にいかなる影響を及ぼしたか」を考察している。特に、日本企業の対中投資を通じた技術移転の効果に着目する。現在の中国では、系統的なアンケート調査を行うことはなかなか難しいが、範氏は長江デルタ地域に進出した日系機械工業企業を対象にする包括的なアンケート調査を実施することに成功している。そして、それに基づいて、日系企業内外の技術移転構造とその決定要因をめぐって詳細かつ興味深い分析を重ねている。
特に、進出日系企業を「現地販売型」「現地・海外両立型」「海外輸出型」の三つに類別し、それぞれの場合の「技術移転」の特質を明らかにしたことは、学界に対する大きな貢献になっている。
もう一つは、中国の家電産業を取り上げ、その追いつき発展の特徴と諸要因を輸入代替化のプロセス、日本家電産業の技術供与や現地生産との関連から検証している。現在、中国の家電産業は驚異的な発展を示しているが、それを基礎づけた一つの重要な要因として日本企業に着目している。
特に、範氏の家電産業の分析は、中国の特殊な事情を理解していることが大きな特色であり、統計の裏に隠されているいくつかの要因を見事に引き出し、その発展の特質を描き出すことに成功している。おそらく、ここで展開されている範氏の分析的な方法は、今後、その他の産業分野での日中の関わりを見ていく場合の一つの重要なものになることは間違いない。まさに、日中の事情を良く理解している研究者の優位性が遺憾なく発揮されたものとして興味深い。
以上のように、本書は日本での長い留学生活を通じ、日中の事情を深く理解している著者が「分業」「技術移転」という概念を基軸に据え、日本の学界で蓄積されてきた分析的な方法に基づいて深めて行ったところに最大の特色がある。私自身、一時期、範氏を指導する立場にあったが、良質な研究者として育っていく姿を見て、日中間の研究に従事する新しい研究者が登場しつつあることを痛感していた。本書は、その十二年間を総括するものとして生み出されてきたものであることは言うまでもない。
なお、本書の基になった論文は、二〇〇三年春に一橋大学で博士号(経済学)を取得している。その後、範氏は二〇〇三年秋から故郷の上海で、上海財経大学の助教授として研究、教育活動に踏み込み始めている。現在の中国では、欧米から戻った研究者は少なくないが、日本で学んだ経済学の研究者は少数派である。限りない可能性を身につけた若き研究者として、激動の中国の熱い風を全身に浴びながら、日中間の産業に関わる有益な研究を重ねていくことを期待したい。
本書の「結び」は、「日中経済はお互いに競合する面も少なくないが、基本的には補完関係にある。日本の製造業が従来のような成長力を取り戻すためには、中国企業の生産力、中国産業のパワーをいかに活用するかがカギとなろう。一方、日本が蓄積してきた技術力や発展経験などは、中国の経済発展にとって重要なものであり、日本の経済協力が依然として期待されている」と締めくくっている。著者が述べるこのようなバランスのとれた視点から、今後の日中経済、産業問題が広く議論されていくことを願わずにはいられない。
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