夏目漱石とカール・シュミット
  ──古賀敬太氏の新刊書に寄せて
 宮本盛太郎 
(京都大学総合人間学部教授)
古賀敬太氏の力作『ヴァイマール自由主義の悲劇──岐路に立つ国法学者たち』のゲラを拝読した。すぐれた才能に恵まれ、長期にわたってドイツ国家学を研究してこられた著者の作品だけに、ケルゼン、シュミット、ヘラー、スメントら通常日本でもよく論じられる人物だけでなく、カウフマン、アンシュッツ、トーマといった名前は知られていてもほとんど本格的に論じられることのなかった人物についても要点を尽した説明のみられる、目配りのきいた好著である。文章も明快で読みやすい。ライプホルツについても論じられており、一人でも多くの方に読んでいただきたいと思う。
 古賀氏は、従来、ヘラーやスメントのようにブルジョワと市民とを概念的に区別していることが明確な人物以外にも、この区別はドイツでは多くみられるところであるとし、シュミットについても、この区別がみられるとする。氏は、シュミットが、ブルジョワ概念を否定するとともに市民を肯定し、市民とは国家のために自己の生命を喜んで犠牲にする人々であり、ブルジョワの精神的類型が商人であるならば、市民のそれは戦士であると規定したことを述べている(第三章の五‐?)。
 目を日本に移そう。著名な作家・漱石は、言葉の英米的な意味では自由主義者であり、個人主義者であった。ところが、漱石は、自己を個人主義者(講演「私の個人主義」)とは規定したが、けっして自由主義者とは規定しなかった。それどころか、一九〇一(明治三四)年春頃の彼の「断片」に出てくる自由主義の像は、まことに暗い否定的なものである。

(一)金の有力なるを知りし事
(二)金の有力なるを知ると同時に金あるものが勢力を得し事
(三)金あるものゝ多数は無学無智野鄙なる事
(四)無学不徳義にても金あれば世に勢力を有するに至る事を事実に示したる故国民は窮窟なる徳義を棄て只金をとりて威張らんとするに至りし事
(五)自由主義は秩序を壊乱せる事
(六)其結果愚なるもの無教育なるもの齢するに足らざるもの不徳義のものをも士太夫の社会に入れたる事……

 この「断片」を書いた頃、漱石はイギリス留学中であり、恐らく社会主義を概説した部分を含む英文の書を読んでいたものと思われる。ここにあらわれているのは、ドイツ国家学者にいわせれば、ブルジョワの像であろう。漱石は、学問としては──残念ながら──政治学・法学を好まなかった。博学な漱石も、この分野の本はほとんど読んでいない(社会学の本は読んでいる)。そこで、彼は、体系的な国家学を残していない。ただ、漱石の文章・講演の全体を丹念に読み、彼の行動パターンを分析すると、漱石も、暗にブルジョワと市民をカテゴリッシュに区別していたと思われる。ただし、漱石が肯定する市民は、第一義的には国家からの自由を求める教養ある市民である。漱石も、自国が侵略される危機状況において、自衛戦争を遂行する国家に市民が協力することの必要は知っていた(講演「私の個人主義」の最後の部分をみよ)。しかし、シュミットにとって市民とは文字通りシュターツビュルガー(Staatsbürger)であったのに対して、漱石にとっては基本的には単なる市民(Bürger)であった。漱石は、天下りの博士号を辞退し、首相の招待を拒否し、書斎で若い友人たちと歓談するのを好んだ。彼は、アナーキストではなく、国家の必要性は認めていたが、彼にとっての祖国の偉大とは文化のレベルで当時の最先進国イギリスを追い越すことであった。ただ、権力からの自由を求める漱石が自己を自由主義者と規定しなかったことは、漱石の祖国の市民社会の未成熟と自由主義の脆弱さを象徴的に示しているといえよう。
 シュミットは、また、ラスキの多元的国家論を批判している。古賀氏も、シュミットによるラスキの多元的国家論批判に言及しているが、その節の最後の部分でこう述べている(第二章の三)。

 最後に付け加えておきたいことは、シュミットが彼の政治神学の視点からも、ラスキの多元主義的国家論を批判していることである。彼はラスキが、一元的統一性を持つ宇宙を多元的宇宙に解消させるウィリアム・ジェームズの多元的世界像を国家に投影させ、国家の政治的統一体を多元的なものに解消しようとしたと述べている。

一九一〇(明治四三)年、いわゆる修善寺の大患の前後、漱石は一冊の本を熱心に読み、九月二三日に読了した。彼は、日記に「午前ジェームスを読み了る。好き本を読んだ心地す」と記した。この点でのシュミットと漱石の距離は明らかである。また、彼は、この年の大患の前に、つぎのような「断片」を残している。以下の文章には、思想の多元性を愛する漱石の姿勢がよく出ている。

 ○アルismヲ奉ズルハ可。他ノismヲ排スルハlifeノdiversityヲunifyセントスル智識欲カ、blindナルpassion〔youthful〕ニモトヅク。さう片付ねば生きてゐられぬのはmonotonousナlifeデナケレバ送レヌト云フ事ナリ。片輪トモ云ヒ得ベシ。(平仮名と片仮名の混用は原文のママ。)

 最後に、例外状態の設定の問題をみておこう。古賀氏は、シュミットによるケルゼンの規範的国家理論批判を扱った部分で、シュミットが例外状態を前面に押し出すことによって、国家の実在性を認識論のレベルではなく、具体的現実の場で立証し、実在国家の法秩序に対する圧倒的優位性を立証しようと試み、例外とか極端な事例に最高度に関心を寄せる立場を「具体的生の哲学」と呼んだことを指摘している(第二章の二)。古賀氏もいわれるように、常態ではなく例外状態を設定して問題を解こうとするのが、シュミットに特徴的な方法である。シュミットの文章を引けば、

 常態はなにひとつ証明せず、例外がすべてを証明する。例外は通例を裏付けるばかりか、通例はそもそも例外によって生きる。例外においてこそ、現実生活の力が、繰り返しとして硬直した習慣的なものの殻を突き破るのである。

ということになる。興味深いことに、例外状態の設定という方法自体は漱石にもみられる。『それから』『門』、『こゝろ』などを読めば明かなように、二人の同性が一人の異性をめぐって、親友関係から決定的な離反状況に陥るというのが、漱石の好む状況設定である。『門』では、親友は満州に渡り、もう一人の男性は世間から隠れるようにひっそりと暮すという設定になっており、『こゝろ』では、親友Kは自殺し、もう一人の男性である先生も最後には自殺する。
 例外状態の設定という点までは一致する漱石とシュミットであるが、そこから先に決定的な違いが出てくる。漱石が描くのは「私」の領域の敵対関係であり、提出されるのは倫理や罪の問題である。一方、シュミットがひたすら問題とするのは「公」の領域の敵対関係であり、提出されるのは国家の実存の問題である。
 最近の研究によれば、シュミットとヘラーはある時期までは親しかったといわれる。それが、ある時決定的な対立関係に入り、ヘラーは異国の地で斃れ、シュミットは戦後隠棲生活を余儀なくされることになった。漱石の『門』を思わせるこの両者の軌跡は、「公的な恋人」の違いによって生じたのである。



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