マイケル・ウォルツァーと複数性への感性 |
- 斎藤 純一
(横浜国立大学助教授)
- プリンストン滞在中にマイケル・ウォルツァーを文字通り「見た」のは“Political Philosophy Collocium”の会場でのことだった。このコロキウムは、プリンストン大学のじつに豊かなアカデミック・プログラムの一つで、私が滞在した九四春から九五夏にかけては、政治学部のG・ケイティヴが主催し“Friends of political philosophy”宛に出席の呼びかけがなされていた。学期中の毎週木曜日に開かれるこの会は、哲学・政治両学部を中心としたファカルティと大学院生がアメリカやヨーロッパの一線の研究者を招いて一時間半議論するというスタイルで行われていた。報告者のペーパーも二週間前には配られるので、議論の密度は濃い場合が多かった(もっとも、Nietzsche: Life as Literatureの著者であるネハーマスがつまらなそうにしてペーパーの裏に漫画のようなものを描いている姿も何度か見かけた)。
ウォルツァーがこの会に出席したのは、Bonnie Honig(Political Theory and Displacement of Politicsの著者)とJeffrey Issac(Arendt, Camus, and Modern Rebellionの著者)が報告したときを含め、二、三度だったと思う。ホニッグは移民と同化、アイザックは東欧のナショナリズムを主題にした報告をおこなった。二人ともH・アーレントの思想について優れた論考を著しており、その二人がいずれも「集合的アイデンティティ」をめぐる問題に関心を移していることが私には面白かった。この二つの報告に一質問したので、ウォルツァーが来ていることがわかった。初老の小柄な体格で、じつに温厚そうな雰囲気をまとっていた(少なくとも見るからに精力的という感じではなかった)。質問をすれば気さくに応じてくれるだろうと思い、その機会をまったが、残念ながらようやく英会話に慣れた春学期には姿を見せなかった。結局ウォルツァーとも、ひょっとしたらと思っていた同じプリンストン高等研究院にいるA・ハーシユマンともコンタクトがないままに終わった。
ただプリンストンにいた間、What It Means to be An American、Thick and Thinなどウォルツァーの本の幾つかに眼を通すことができたし、「ウォルツァリアン」と自分を呼ぶ若手の法理論の研究者とは何度か会話をもつことができた。「ウォルツァリアン」とは何者かと尋ねたところ、抽象的な単一のユニバーサリズムと偏狭なローカリズムの間に立つ者のことだと言うので、それなら私もウォルツァリアンだと答えたのを思い出す。
もっとも私は、ウォルツァーの仕事を真面目にフォローしてきたわけではない。渡米前に読んでいたのは、Spheres of Justiceの一部、Interpretation and Social Criticismのほかは、“Liberalism and the Art of Separation ”“Socializing the Welfare State”“Philosophy and Democracy”“The Communitarian Critique of Liberalism”など幾つかの論文に過ぎない。コミュニタリアニズムの代表的論者の議論も少し知っておきたいというくらいの気持ちで接したのだが、受けた印象は少なくともリベラリズム対コミュニタリアニズムという枠づけには馴染まないものだった。同じ陣営に数えられながらもA・マッキンタイアーなどとはおよそ異質な精神ではないか、という感じさえもった。その精神は、「複数性への感性」と呼ぶことができる質のものだと思う。正義の尺度とその妥当領域の複数性、民主主義(意見の複数性)の哲学に対する絶対的優先、中央集権的福祉の脱国家化−多元化……ウォルツァーの論考には、互いに異なるものを単一のものに統合し・整序化しようとする思考習慣への違和の感覚と批判が明瞭に読み取れる。私がウォルツァーに最も共感する部分も、人−間の“Plurality”を政治の条件として位置づけるアーレントにも通じる、こうした複数性への感性のあり方である。
- もっともウォルツァーのプルーラリズムに疑問がなかったわけではない。一つは、諸領域、諸集団の間の複数性の擁護は、それらの内部のとりわけ「集合的アイデンティティ」をもつエスニック集団内の複数性の擁護に結びつくか、結びつくとしたらどのようにか、という問いである。近年のウォルツァーには、冷戦構造の崩壊をまって決定的になった「政治が文化の後に従う」状況、マルチ・カルチュラリズムに関する論考が多いが、この問いに対する踏み込んだ明確な議論はまだないように思う(あるいはウォルツァーには諸個人の“Individuality”に即した問いが弱いのではないか?)。もう一つは、多元的な諸領域、複数の価値を生きる人格内の複数性についてウォルツァーはどのように考えるだろうか、という問いである。ウォルツァーは、エマーソン、ニーチェ、アーレント、フーコー、W・コノリーなど自己を複数のものととらえ、しかもそれらの間の抗争の契機を重視する思想家たちとどのように違うだろうか。さいわい、この問いについては、Thick and Thinの第五章“The Divided Self”でその一端を知ることができた。
すでにご存じの方もあるだろうが、この本の裏表紙には「彼の議論は、現状への荷担をともなうフーコー的な制度内部の改良主義的な社会批判と、社会批判は普遍的・道徳的真理に発しなければならないとするカント−ハーバーマース的な主張との双方の土台を切り崩すものである」というR・ローティの肩入れした推薦文が載っている。フーコー批判はともかくとして、道徳判断も一次元的なものではなく、個々の文化にローカルに通用しかつ妥当する“maximalist”な判断とそれを超えて共有される“minimalist”な判断とが織りなす複合的なものであるという議論には、考えるべき点が多く示唆されていて読み応えがあった。ただ、私が興味を惹かれたのはやはり、自己の複数性を取り上げた“The Divided Self”の議論である。
自己を複数に分割されたものとしてとらえる思想そのものは、プラトンにまで遡る。しかし、この伝統には、ウォルツァーが精神分析とサルトルの哲学に見届けるように、最終的には自己を一つの単線的・階層的な秩序に組織化しようとする願望が付き纏っていた。ウォルツァーがそれに代えて呈示するのは、多数の自己が水平的に並存・競合し、それらの間で「自己‐批判」が繰り広げられる内的世界の像である。その場合しかも、自己・批判の焦点は「私は何をするか」(What I do)というよりもむしろ「私は何であるか」(What I am)にある。自己の複数性と自己の倫理とを交差させるこうした見方は、ニーチェやアーレントなど先に挙げた思想家たちにも共通するが、ウォルツァーの内的複数性のとらえ方は、対立・抗争(アゴーン)の契機を強調する彼女/彼らの議論にくらべれば、かなり穏和なものである。時間の変化を貫いてアイデンティティを担う「中心」が自己の内部に確保され、自己−批判は「小競り合い」(skirmisch)にとどまる。
この章には、「個々の市民だけが政治への参加者であるのではなく、そうした市民を[内的に]構成しているすベての自己・批判者や批判された自己もそうである」という豊かな含意をもつ一節がある。自己についても集団についてもアイデンティティとしての整合性・一貫性を要求するウォルツァー自身のスタンスが、こうした政治の見方を徹底化するうえで妨げとなりはしないか、という疑問も残らないわけではない。いずれにしても、社会の複数性を強調してきたウォルツァーが自己の複数性の問題にも立ち入り、しかもその二つの秩序にミス・マッチであらざるをえない社会と自己の「マイノリティ」の存在にも光を当てていることを知ったのは大きな収穫だった。
ウォルツァー自身にもさらに議論の展開を望みたいが、いまは、十分な理解にもとづいた翻訳で『解釈としての社会批判』を読み返しながら、二つの次元の複数性をめぐる問題を確かめ直すのを楽しみにしているところである。
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